Love&Peace1部1章7

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「き……きゃあああっ!」
眼前に地面がせまってくる。
悲鳴を上げるのだが、だからといって万有引力の法則が容赦してくれるわけではない。

ドサッ!

次の瞬間、絵麻の身体は地面に叩きつけられていた。
「いたた……あれ?」
衝撃は強かったのだが、思ったほど痛くない。
見れば、下はやわらかい芝生の地面で、これが緩衝材がわりになってくれたのだろう。
その芝生に、祖母の形見である宝石のペンダントが転がっていた。
「あ」
とっさに腕を伸ばして拾い、ポケットに押し込む。
「あ、あの……」
その時、絵麻の下から、遠慮がちな声がした。
「?」
「おりてもらえるかな? 重いんだけど……」
見れば絵麻と地面の間に、人がひとり下敷きになっている。
その人物がクッションになってくれたおかげで絵麻はかすり傷ひとつ負わずにすんだ訳だが……クッションにされた方はたまったものじゃない。
「きゃあっ!」
絵麻は悲鳴を上げてその場から飛びずさった。
「痛っ……頭打った」
絵麻の下敷きになっていた人物が、どうやら打ち付けてしまったらしい頭をさすりながら体を起こす。
「ごめんなさい……」
「僕は大丈夫。君は平気?」
「うん」
絵麻は頷いて、それから目の前の人物を眺めた。
年は17、8歳といったところか。切り返しのついた黒のジャケットとホワイトジーンズというラフな格好をしていて。
それより絵麻の目を引いたのは、その人物の顔かたちだった。
さらさらの、青みがかった黒髪と黒目がちの瞳。かなりの長身ではあるが、顔立ちはまるで女の子のように繊細で、優しげだった。
(女の人? でも、さっきは『僕』って言ってたけど……)
「それより、一体どうしたの? こんな何もない所から落ちてくるなんて」
少年(絵麻はそう決めた)が指し示した頭上には何もなく、ただ青空が広がるのみだった。
「……」
訳がわからず、絵麻は言葉がない。
「君は、どこから来たの?」
「……」
記憶の糸を探ってみる。
確か、祖母の声のする闇の中を漂っていて……気づいたらここに落下していた。
ということは、ここは……。
「ここは……天国?」
「?」
少年がきょとんと目を見張る。
「大丈夫なの? 君、頭を打ったりとかしてないよね」
「打ってない……それより、ここはどこなんですか?」
絵麻は少年に聞いてみた。
「ガイア西部、ウィガン高原、だけど?」
「?!」
今度は絵麻が目を見張る番だった。
「あの……今、なんて?」
「だから、グリーンガイア国西部地区、ウィガンの高原」
「……?」
絵麻の頭の中で、疑問符がぐるぐる回る。
目の前の少年がおかしいのか、それとも自分がおかしいのか。前者だと言いたいところだが、少年の面差しは真剣そのものである。
となると、自分がおかしいということになるのだが……。
その時になって、絵麻は少年が日本語とは全くかけはなれた言葉を使っていることに気づいた。
絵麻が聞いたことのない言葉なのだが、絵麻は彼の言葉をしっかり把握できているし、少年の方も絵麻と会話をするのに不自由している様子はない。
(どうなってるの……?)
一人で考え込んでいる絵麻を見かねたのか、少年が声をかけてきた。
「君は誰なの?」
「深川……深川絵麻」
絵麻は少しためらいながら答えた。
普通に接してくれていた人でも、この名前を言えば態度が変わる。ある人は蔑むように、またある人は媚びるように。
だから、絵麻はこの名前が嫌いだった。
つけてくれたのは大好きな祖母なのに……。
絵麻は目の前の少年の態度が変わるのを危惧していたのだが、少年の方は特に何も感じなかったようで。
「僕は翔(しょう)っていう」
あっさりと普通に返してきた。
「翔……さん?」
「翔でいいよ」
「男の人だったんだ」
思わず本音が口をつく。
「やっぱり女だと思われてたか……」
少年――翔が額を押さえる。
「あ、ごめんなさい……」
どうやら触れられたくない部分をついてしまったようで、絵麻は謝った。
「いいよ。間違われるのは慣れてるし」
怒られると思ったのだが、翔の方は実にあっさりとしたもので。
「……」
絵麻は何となく気が抜けて、また沈黙してしまった。
「どうしたの?」
「……」
「絵麻はどこに住んでるの?」
話が硬直してしまったので、翔が質問をかえる。
「厚木」
「……どこ? それ」
「神奈川県の厚木市よ。知らないの?」
「悪いけどわからないな……それ、どこの地区?」
「地区?」
「中央部とか、北部とか南部とか」
「……わからない」
さっきからのやりとりの中で、ひとつだけわかったことがある。
ここは日本じゃない……いや、絵麻の考えがあっていれば地球でもないだろう。
少なくとも、“グリーンガイア”という国名は聞いたことがない。
「絵麻ってなんか変わってる……」
「わたしから見たら翔さんだってそうだよ」
「翔でいいって。それより……」
翔が何かを言いかけた時だった。

 グアッ……

ふいに、背後から咆哮のような音が響いた。
「……?」
絵麻が振り向くと、TVか動物園の檻の中でしか見たことのないような毛むくじゃらの大熊がそこにいた。
一撃で岩をも砕きそうな腕と、大きく裂けた口からのぞく鋭い2本の牙。そして、真っ赤に充血した目。
「なに……なんでここに熊がいるの……?」
「グアアアアッ……」
大熊は咆哮すると、絵麻に向かって突進してきた。
「きゃああああああっ!」
大熊の息がかかりそうになった瞬間、絵麻は横にいた翔に押し倒されて難を逃れていた。
思いっきり地面を転がって、頭を打ってしまうが、今はそんなことを構っている状態ではない。
「絵麻、大丈夫?」
「……何これ? 何なの?!」
「パンドラの亜生命体(モンスター)。ここにいたのか……」
「?」
「絵麻、ちょっと下がってて」
この非常識な事態にもかかわらず、翔は冷静だった。待っていたように。
ジャケットの内ポケットから、透明な何かを取り出す……よくよくみてみるとそれは理科室に置いてあるようなガラス製のシャーレで、中に緑色の石が入れられている。
絵麻を背後にかばいながら、翔はそれを持って大熊に対峙した。
「それで何するの?!」
どこからどうみても、大熊を撃退できるアイテムじゃない。
「だから、黙ってみていてよ」
「そんなんじゃ熊に食べられちゃうよ!!」
「大丈夫だから」
その時、絵麻は翔が持っている緑色の石から、何か不思議な波動(オーラ)が漂ってくるのを感じた。
(……?)
翔が目を閉じて、意識を集中させる……その一瞬、絵麻は翔の身体を例の不思議な波動を持つ、限りなく白に近い青の閃光が包みこむのを見たような気がした。
(なんだろう……この感じ)
 はじめてみたのに、どこかで感じたことがあるような気がする。
 不思議な波動……限りなく白く青い、一瞬の閃光。
(この感じは……雷?)
「グアアアアッ……!!」
絵麻の思考は、再び眼前に迫っていた大熊の咆哮によって中断された。
鋭い爪が、2人の頭上目がけて振り下ろされる!
「きゃあっ!!」
悲鳴をあげて、絵麻は目の前の翔の背中にしがみついた。
が、その爪が2人に届くことはなかった。

バチン!

「グアアアアッ……!!」
何かが弾けるような音とともに、大熊がその巨体をのけぞらせる。
「え?」
見てみると、翔の手が大熊に向かって突き出されていて、その手にはさっきの青白い光が集まっている。
ところどころがパチパチと青くスパークしていて……その様子は絵麻に電気を思い起こさせた。
「翔……?」
「これで終わりだ!」
翔はそう言うと、掲げた手を大熊に向かって振り下ろした。
手の中にあった青い光が、稲妻になって大熊に襲いかかる。

バリバリバリ……バチン!

「グアアアアッ……!!」
雷光の中で、大熊の巨体がみるみる炭化していく。
大熊が黒焦げになって倒れるまで、1分とかからなかっただろう。
「……」
絵麻はおそるおそる、倒れた場所を翔の背中ごしにのぞきこんでみる。
「もう大丈夫だよ」
翔が位置を開けてくれる。大熊は文字通り真っ黒焦げになって倒れていた。
「これ……死んだの?」
「うん」
熊の黒焦げ死体……絵麻はしばらく呆然と眺めていたのだが、その時、ふいに熊の目のあたりで何かが不気味にきらめいた。
「……うわっ!」
思いっきり飛びずさる。
「どうしたの?」
「そいつ、まだ死んでない!!」
「えっ?」
「今、目が光った!」
「目……?」
思いっきりびびっている絵麻とは対称的に、翔は平然と熊の頭だった部分に歩み寄ると、目があった部分―─さっき光った部分の焦げ炭に手をつっこんだ。
「危なくない……?」
「大丈夫だって。ほら、炭になってるでしょ?」
翔は何かを探すようにその炭をあさっていたのだが、数分もすると汚れた手をひっぱりだした。
「見つけた。光ったのってこれ?」
翔の手には、ちょうど三日月のような形をした光る何かがつかまれている。
「何それ?」
「血星石(ブラッドストーン)だよ。僕はこれを探してたんだ」
翔はそう言うと、絵麻にその血星石を手渡してくれた。
親指の爪くらいの大きさの、三日月型の石である。色は濃緑で、全体にぼつぼつと不規則な赤い斑が散っている。
そう──まるで血しぶきを浴びたかのように。
「血星石……」
それを手にした瞬間、絵麻はまたあの不思議な波動を感じていた。
何か、とてつもなくまがまがしいもの……触れてはいけないようなもの。そんな波動だ。
(わたし、この石のこと知ってる……?)
「これは?」
「えっと、僕らの総帥が集めてる石。いろんな場所にあるんだけど、たまに亜生命体が持ってることがあって、それで僕が回収に来たんだ……そろそろ返してもらっていかな?」
「あ、はい……」
 はぐらかされたような感じを受けたものの、だからといって返さないわけにいかない。
 絵麻は翔に、血星石を返そうとした。
ちょうどその時――ふいに、絵麻の手を濃緑の光がからめとる。
光は絵麻の手の中の血星石から発されていた。
「?」
「え?」
とっさのことで、2人とも反応が遅れる。
その刹那……血星石は濃緑の光を発しながら、絵麻の手のひらに沈み込んだ。
何の抵抗もなく、魚が水に潜るように。
「……?!」
翔が大きく目を見開く。
「消えた?! ううん、おっこちたのよね?」
絵麻はぱたぱたと周囲を見渡したのだが、手があった下にも、どこにも血星石はなかった。
「落ちて……ないね」
「じゃあ、どうなったの? どこにあるの?」
「絵麻が吸収したんだ……」
翔の顔色が、いくぶん青ざめてみえる。
その手には、いつの間にか小さな、緑と紫の結晶からなる石のついた振り子が握られている。
翔がその振り子を絵麻の前にかざすと、振り子の先端の石が輝いて、左右に揺れた。
「何してるの?」
「この振り子は血星石の波動に反応するんだ」
「ってことは、わたしの中に血星石があるってこと? さっきの熊みたいに?」
翔が無言で頷く。
「え……」
自分の中に血星石があるということは……?
「ねえ、君は誰? どこから来たの?」
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