クリスマスプレゼント・アフター
クリスマスプレゼント・アフター
土曜日前半の部活は、優桜の好きなもののひとつだ。
優桜の通う清風高校には専用の剣道場がないため、剣道部は中体育室を卓球部と共同で使っている。そのため、常に剣道部だけが使える練習場所が存在しない。剣道部と卓球部に限らず、清風高校の敷地の関係で運動部はどこも似たような状況であり、生徒会による曜日制限及び時間制限の発布により、かろうじて運動部間の縄張り抗争は避けられている。
前半というのが時間制限のことで、午前中に相当する。土曜日前半とは土曜日の午前中は決められた場所を使える、という意味だ。優桜たち剣道部の土曜日の練習は、隔週で前半と後半が入れ替わる。
後半の方が朝ゆっくりできていいのにと花音などはぼやくが、優桜は前半のほうが好きだった。確かに朝は平日と同じように起きなければならないのだが、ランニングの習慣がある優桜は早起きは苦にならないし、前半の練習は午前中で終わるので、午後がまるまる遊べるのである。世間一般より早く極めて厳しい門限を持つ者にしかこの重要性はわからないだろう。
部活が午前中で終わると、優桜は学校の最寄り駅の駅ビルに遊びに出かける。わりと大きな駅のため、優桜の自宅の最寄り駅に比べるとテナントが充実しているし、万が一遅くなっても通学に使っているバスはその駅発なので、父親からの電話も「今バスを待ってるの」と答えておけばとりあえず平和になる。優桜は雑貨屋を覗くのが好きだった。外国製の紅茶やお菓子を買って、母と食後にちょっとしたお茶を楽しむのである。
その日も土曜日前半の部活が終わって、これからアルバイトだという花音と学校前で別れて優桜は駅ビルにやってきた。十二月の街はクリスマス一色で、至る所にクリスマスツリーがありスノーマンがいて、電飾をきらきらさせていた。
優桜はいつものようにエスカレーターで雑貨屋のあるフロアに向かった。
入り口で見渡してみると、女性客の多いこの店には珍しく、お菓子のコーナーに男性客がいた。優桜からは後ろ姿だが、背が高くて明るい茶色の髪なのが目をひいた。
(あれ?)
その髪の色に見覚えがある。優桜が好きな色だ。着ているコートもマフラーも、優桜が格好いいと思っているのとおんなじ。
優桜の片思いの相手である従兄、魚崎明水の自宅――魚崎本家と清風高校は最寄り駅が同じだ。駅ビルにいてもなんらおかしくない。雑貨屋にいるのは多少奇妙ではあるが。
「明水兄ちゃん?」
その声にびっくりしたように振り向いたのは、やはり優桜のよく知っている人物だった。
「ユウ?!」
慌てて振り返ったらしく、眼鏡が少し傾いている。思わず優桜は吹きだした。
「おどかさないでくださいよ」
眼鏡を直しつつ、明水が苦笑する。
「だって、あたしもびっくりしたんだよ。ここに兄ちゃんがいると思わなかったから」
言いつつ、優桜は落ち着かなかった。憧れの君に思わぬところで会えたこともあるが、今は部活の帰りだ。冬場だしきっちり汗ふきシートで拭いてスプレーもしてきたけれど、剣道部というのは因果な部活である。兄ちゃんに会えるって知ってたなら替えのシャツも持ってきたのに。
「兄ちゃん、買い物?」
「ええ。やっぱりこういう店がいいんだろうなと」
明水はいちばん目立つところに飾られていた、プラスチックのクリスマスツリーに入ったキャンディーを取って優桜に示した。ファンシーな、いかにも女の子受けしそうなデザインだった。
「女の子ってこういうのが好きですよね?」
その言葉に、優桜の落ち着きのなさは百八十度方向を変えた。
優桜は明水のことが好きなのだが、明水の気持ちはわからない。今のところ、彼女がいるという話はどこからも聞こえてこなくて、明水は休みの日は野球に行くか自宅にいるかのどちらかである。
でも、彼女がいないという話もどこからも聞こえてこないのだ。それっぽい素振りがない年上の思い人に安心していたら、実は遠距離恋愛をしていたという漫画を思い出して優桜は青ざめた。
「兄ちゃん、それ女の子にあげるの?」
「おかしいですかね? 大きいほうがいいですか?」
優桜の反応が芳しくなかったのか、明水は首を傾げると隣の棚にあった、ワンサイズ大きなツリーを手に取った。
「でもこれだと結構かさばりますね。学生鞄のポケットくらいに入っちゃうほうがいいんですけど」
「学生鞄?」
意外な言葉が出てきて優桜は目を丸くした。その様子に明水が口元を緩める。
「塾の生徒達に渡すクリスマスプレゼントですよ」
優桜の目がさらに丸くなった。
「クリスマスプレゼントなんて、塾でもらえるの?」
「個人経営が大手学習塾に対抗するには、アットホームな雰囲気を売りにするのが効果的なんです」
優桜にはそれがどのくらいの効果なのかはわからなかったし、どうでもよかった。この時、優桜の気持ちは明水が彼女にプレゼントを買っていたわけではないとわかったことに集中し、ふたたび羽のように舞い上がっていた。
「いちばん生徒達と年が近いっていう理由で僕が買うことになってるんですけど、いつも悩むんですよね。男の子のぶんは量があるのを選ぶだけなんで、あんまり考えないんですが」
いつもスマートに物事をこなす従兄が困っているというめったに見られない光景を前に、優桜は思わず微笑んでしまい、慌てて反対の棚に向き直った。
「こういうの流行ってたと思うよ?」
といいつつ、適当に目についたクッキーの詰め合わせを取って明水に渡した。
「そうなんですか?」
明水は素直に自分が選んだ物と比較してくれていた。明水は父のように、お前は子供だからと優桜のことを抑えつけることはない。十歳近く年下の優桜の話をいつもきちんと聞いてくれる。
「後は……こっちとか。チョコレートも今だったら、鞄に入れてもそんなに溶けなくていいかも」
明水は結局、優桜が勧めた物の中をあれこれ比べて、銀色の籠に入ったキャンディーの詰め合わせを十五個ほど購入した。
「ありがとう。ユウがいてくれたから予定より早く終わりました」
「兄ちゃん、今日はお仕事は?」
「今午前中のぶんが終わったところですね。後は夜まで僕の枠はありません」
買い物が仕事になるのが優桜には不思議だったのだが、塾の買い物なので仕事時間に含まれるのだそうだ。
「雑貨屋さんでお買い物するのがお仕事……なんかヘンなの」
「そういうのもあるってことです。ユウも勤めだしたらわかりますよ」
駅ビルの出口まで歩きながら、明水はそう言って笑った。
「なんだか可笑しいですね。あんなに小さかったユウと、仕事の話をするなんて」
「あたしってそんなに小さかった?」
「僕には赤ちゃんだったユウは昨日の事みたいですけど」
優桜が生まれたとき、明水は九歳だった。優桜が生まれたその日に、明水は伯母に連れられて優桜を見に来てくれたのだという。だから、明水の知っているいちばん最初の優桜というのは、生まれたばかりの首も据わらない赤ん坊なのだ。優桜が知っているいちばん最初の明水は学ランの似合う中学生だというのに、ひどい差である。
「あたし、子供じゃない」
「高校生はまだ子供ですよ」
明水がそう言うたび、優桜は切なくなる。
確かに高校生は大人ではないかもしれない。でも、少なくとも赤ん坊ではないし、両親がいなければ何もできないくらいに幼くもない。
いつになったら、兄ちゃんの隣に並べるようになれるんだろう? 今だって確かに隣にいるけれど、物理的な距離ではなくて、明水が対等だと認めてくれる精神的な距離で。
「誕生日だって来たよ。もう十六歳だよ」
「そうだ。ユウの誕生日プレゼント、準備してありますよ」
明水は急に立ち止まった。
「え?」
「今日会うとは思ってなかったんで家なんですけど。よかったら今から来ますか? うちに来るんだったら多少遅くなっても叔父さんは怒らないでしょうし、塾が終わってからでよければ僕が送っていけ」
「行く!」
優桜は明水の言葉を遮って返事をした。早押しでクイズ王を押しのけられそうなほどの勢いだった。
「絶対行く。伯母さんの夕飯の手伝いして、お祖父ちゃんと伯父さんとテレビ見て兄ちゃんのお仕事終わるの待ってる」
明水は笑いを含んだ目で優桜を見下ろしていた。
「それじゃ、こたつで食べるお茶菓子でも買って帰りましょうか。叔父さんにメールしておいてくださいね」
そうして、ふたたび二人並んで歩き出す。飾られた街を歩く姿が恋人に見えたらいいのになと、優桜は思った。
実際には、兄妹のように見えてしまうんだろうけど。
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