クリスマスプレゼント
クリスマスプレゼント
「クリスマスはサンタさんが来るんだって!」
保育園の迎えに行ったら、目を輝かせた娘に報告された。
ついにこの時期がやってきたかと、そう思った。まだ小さなうちは何とかやり過ごしていたのだが、そろそろ無理かな、いや今年はまだいけるかなとそんなふうに思っていた。でもやはり無理だったかもしれない。保育園の玄関には電飾の絡んだツリーが鎮座ましましているし、娘のクラスの廊下には赤い紙で作った靴下が人数分下がっていた。
「ほしいもの何でもくれるんだって!」
いや。何でもじゃないから。そんな都合のいいことないからと言いかけて、母親としての理性が勝った。まだまだ小さな娘に、しゃがんで視線を合わせる。
「優ちゃんがいい子にしてないとサンタさんはこないよ?」
「そうなの?」
無邪気に見上げる娘をひょいと抱き上げて駐車場に戻り、チャイルドシートに手早く固定する。
「そうなんだよ。だから優ちゃん、いい子にしてね」
「ゆうさはいつでもいい子だよ?」
そう言う娘の頭をわしゃわしゃと撫でてやる。
「うん。お母さん知ってるよ。いつも保育園でお母さんのお仕事終わるの、待っててくれるもんね」
嬉しそうに優桜が笑う。
「優ちゃん、何が欲しいの?」
にこにこの笑顔のまま、娘はこう言った。
「ケーキ!」
「え?」
「おかあさんのケーキ、食べたい!」
*****
魚崎結女は基本、料理をしない人だった。食事は仕出しのお弁当が九割という、今考えれば不健康極まりない生活をしていた。休日も自分で作ることはなく、妹任せだった。
芸能界を引退し、必要に迫られて料理をするようになったが、最初に作ったものは、お世辞にも食べられるものではなかった。そんな結女が人並みの料理を作れるようになったのは、愛する夫となった当時の恋人の尽力の賜である。彼は結女の料理に情け容赦なく駄目出しをしてきたが、それでも、彼は生焼けのもの以外の、味覚に難があっても胃袋に影響がなさそうな物は全部食べてくれた。だから、結女は料理を覚えられたのだ。夫が駄目出しするだけで食べてくれなかったら、投げ出していた。
その後、娘に恵まれ、彼女に不憫な思いをさせるわけにはいかないと尚更料理に気をつけるようになった結果、料理の腕は最初から比べると物凄く上がっている。ただ、必要なものしか調理しないため、お菓子作りはやったことがない。
「お母さん、ケーキ作れるっけ?」
娘を風呂に入れて寝かせた後、夫に今日の話をしたらこう返された。
「ホットケーキミックスなら何とかなると思うけど」
ミルクとたまごと混ぜるだけだしと言ったら、夫が首を振った。
「おれが優桜だったら、クリスマスにホットケーキ出されたら怒るぞ」
ここはショートケーキだろと夫が力説する。結女はため息をついた。
「作らないって気楽ね」
「いや、『おかあさんのケーキ』をご所望なんだろ?」
「……もしかして、拗ねてる?」
こういう部分が自分よりずっと年上なのに子供のようで、夫はかわいいなあと思う。
「無理しなくてもいいんじゃない? 仕事だってあるんだし。店で買ってきたケーキだって、お母さんが作ったっていえばまだわからないさ」
確かに、そうだろう。まだ保育園児なのだ。もっと年がいけば笑ってくれるかもと、ちょっと思った。けれど、子を持つ母親がそんなのではいけない。嘘を肯定しちゃいけない。大事な大事な娘が、自分のようになってしまう。
「作る」
明日本屋さんでケーキ作りの本買ってくると結女が付け足すと、夫は目を丸くした。
「マジ?」
「がんばる。だって、あたしは優ちゃんのお母さんだから」
*****
宣言通り、結女は翌日の仕事が終わると本屋に行った。時節柄なのかケーキの本はコーナーが組まれるほど多く、迷ったが無難な線で『初心者でもカンタン!』と書かれたものを買った。本屋で迷っていたせいで優桜の迎えが遅くなり、彼女は保育園の玄関のツリーの下まで来て待っていた。
「粉ってふるわないといけないのね……ザルじゃ駄目よね。ふるい買って来なきゃ」
夕食を終えて本を読む結女の横で、優桜が真似して絵本を広げていた。この前遊びに行った時に従兄から借りたクリスマスの絵本だ。ということは、優桜にサンタクロースの存在を教えたのは保育園ではなく聡い従兄だったということになるのか。
「おかあさん、おかあさん」
優桜に呼ばれ、結女は顔を上げた。
「あのね、あきみにいちゃんが、サンタさんはそりに乗ってるって言ってたの! おかあさん、ゆきふらなかったらサンタさんはどうするの?」
「えーっと……」
回答に詰まる。この年の子供を抱えていれば疑問質問は当たり前に飛んでくるわけだが。
「ゆうさのところにサンタさんこれない?」
優桜がみるみるしょげてしまったので、慌てて結女はケーキ作りの本を脇にやると彼女を抱き上げた。
「あのね、サンタさんは日本ではそりに乗らないのよ」
「そうなの?」
「うん。車に乗ってるの。だから優ちゃんのところにもちゃんと来れるからね」
「トナカイさんはどうするの?」
「えーっと、大きな車だから一緒に乗れるの」
「トナカイさんが乗っちゃったら、プレゼントのれないの?」
「優ちゃん、夜更かしする子はサンタさん来てくれなくなっちゃうよ?」
結女は結局、はぐらかしてしまった。こうやって親の経験値は上がるのかと、そんなことを思った。
こうして、小さな娘の世話と、年末進行で普段より忙しい仕事を抱えた結女のはじめてのケーキ作りは、ぶっつけ本番になった。
今年のクリスマスはありがたいことに休日で、優桜の面倒は夫が引き受けてくれた。二人が部屋に引っ込むのを確認してから、結女は台所でひとりケーキ作りに挑んだ。
初めての試みは、やっぱり上手く行かない。粉をふるえば辺りに飛び散り、生クリームはなかなかツノが立たない。
「……電気の力は偉大ね」
ようやく生クリームが様になった頃には結女がぐったり疲れていた。
ともあれ、ケーキは出来上がった。しかし、優桜は夢の中だった。久しぶりに父に遊んでもらってはしゃいだ彼女は、クリスマスの歌を続けて歌ったあと、眠ってしまったのだそうだ。
「ケーキ、できた?」
飾り付けの終わったケーキを見せると、夫は僅かに眉を寄せた。
「……なんか凄くない?」
「確かにやぼったいけど!」
店売りのケーキと比べたら、確かにそのショートケーキは野暮ったいというか不格好だった。パレットナイフを使わずにクリームを塗ったので均一性がなく、一方が厚ぼったいかと思えばもう一方は薄っぺらい。クリームを絞るのに慣れていないのに模様を描こうとしたから、無残に失敗してひしゃげている。
夫は無造作に指を出すと、クリームの厚ぼったい部分から掬って一嘗めした。
「あ、ちょっと!」
「お母さん、これ砂糖入れた?」
甘くないよ? と夫が言う。
「砂糖、入れるの?」
「普通入れるから。レシピに書いてなかった?」
結女は慌ててボールに残っていたクリームを味見した。確かに全然甘くない。そういえば泡立てるのに躍起になって砂糖を入れ忘れていた。
「失敗した……」
「んー? 中が生焼けでなきゃ食べれるでしょ」
がっくりと肩を落とす結女を横目に、夫は冷蔵庫から紙袋を出してくると、中身を出して包装を解き、ケーキに乗せた。
紙袋の中身は「Merry X'mas」と書かれたチョコレートのプレートと、マジパンでできた小さなサンタクロースだった。
「これ乗せときゃ何とかなるって。チョコだし。甘いし」
おれは大人だから砂糖控えめクリームがちょうどいいし、お母さんのダイエットにも砂糖なしの方がいいさ。夫はそんな風に付け足した。
「中は大丈夫だよな?」
「うん。それは平気……あなた、ありが」
「あー! ケーキだ!」
結女の感謝の言葉を遮り、優桜が甲高い声をあげた。いつの間にか昼寝から目覚めて、台所に来ていたらしい。
「よかったな優桜。今できたところだぞ」
夫が優桜をケーキの置かれたテーブルの高さまで抱き上げる。
「わーい! おかあさんありがと!」
優桜がとても嬉しそうに笑ってくれたから、それだけで嬉しくなった。
「ぜんぶゆうさの?」
「駄目です」
夫が一転して厳しい声を出す。
「優桜のぶんは一切れ。まだ優桜は小さいんだから、ホールひとつなんてとんでもない」
父親に言われ、ふてくされた小さな娘に「他のご馳走食べられなくなっていいの?」と問いかけると「はんばーぐたべたい」と返ってきた。娘はハンバーグが大好きなのだ。多分、言い出すと思っていたから、冷蔵庫に材料は揃っている。
「じゃ、優ちゃん、お父さんと一緒にこねるの手伝ってね」
優桜はまだ力が弱いから、ハンバーグをこねるのは父親との協力作業になる。
「はーい」
夫と娘の声が合わさる。
そうして笑った貴方たちが、私のクリスマスプレゼント。そんな風に結女は思った。
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