Wの悲劇
Wの悲劇
地球という名の異世界があると、サリクスは新しくできた友人から聞いた。そこは自分たち「ガイア」の常識が基本的に通じ、でも全く通じない時もある場所なのだという。友人――ユーサが極めて真面目な性格なのにメリールウより一般的な物を知らなかったりするのはそういう理由らしい。
ガイアには「大事な人の無事を願ってチョコレートを贈る」という習慣が存在する。チョコレートはカロリーが高く携帯もしやすいため、内戦の頃は「急に食料調達が難しくなっても、大切な人が無事に還れるように」という理由で贈られていたそうだ。しかし、内戦も終わり、理由がなくなった今でもガイアにはその習慣が残っている。チョコレート会社の生き残り戦略だとは別の友人の言葉だ。
大切な人に、という言葉が別の意味で一人歩きをした結果、ガイアの若年男性の間では、チョコレートをどれだけもらえたかが一種のステータス化している。多く貰えると優越感、ひとつももらえないと劣等感。極めてわかりやすい。最早、習慣というよりはイベントである。それをユーサに話したら、彼女は「どこも同じなんだね」とひきつった笑いを浮かべていた。
サリクスはこのイベントに関してはわりと恵まれた人生を送っている。姉妹がいるので、母親からひとつ、という若年男性の悲しい事情に陥ったことはない。また、性格が勝因なのか、女の子の友人から多々もらえる。「本命の彼と、あとは友人に」というところの「友人」に数えてもらえるらしい。なので、この時期だと紙袋ひとつ、チョコレートで埋めることが出来る。ありがたい話である。
そう。ありがたいのだが、最近はその多さで問題が生じてきた。
お返しをどうするか、である。
元々は大切な人の無事を願う習慣であったため、「お返し」というものは自分もチョコレートを一枚贈ればそれでよかったのだが、イベントの様相を呈してきた昨今は、このビジネスチャンスをチョコレート会社だけに渡してなるものかと他業界が参戦した結果として、お返しがキャンディやらハンカチやらバッグやら……要するに「女の子の欲しそうな物」に変わってきた。これは貰った側としてはゆゆしき事態である。というのもチョコレートは「女の子数人からひとりへ」ということが可能だが、お返しはそういうわけにはいかないのである。数人からひとつもらったお返しはひとつではなく、数人に返さなければならないのだ。
そういう風潮で、チョコレートを複数から、紙袋が必要なほどもらった男性がどうなるのか。
「お返しの予算が足りない」
サリクスはその日、法律事務所の、誰も使っていない椅子に陣取ってぼやいていた。
「お前それいいにわざわざここまで来たのか」
法律事務所の経営者であるウッド・グリーンが自分の机からそう返す。彼は書類をふたつ並べて何かをやっていた。
「まだ仕事?」
「もうちょっとで終わるんだが」
いるのはウッドだけだ。事務所の就業時間は、ウッドはサリクスを中に入れようとしない。ぐだぐだやられると自分も周囲も仕事にならないというのがその理由だ。これは優桜とメリールウも同じである。例外的に、事務所の用件を手伝わせる時には就業時間に入れることもある。
時間外なら出入りはわりと自由だ。ウッドは自分が残業を抱えていても別に構わないらしい。
「マジメだねぇ」
「これが普通」
「って、俺が普通じゃないみたいじゃん。ちゃんと労働して税金も納めてるってのに」
「わかったわかった。で、何でここまでぼやきにきたんだよ」
金なら貸さないぞと言われ、サリクスはむっとした。
「お返し程度で借金するほど困ってないって」
「でも、足りないんだろ?」
「そうなんだよ」
サリクスは椅子にひっくり返った。
女性が本命と友情を選べるように、こちらにだって選ぶ権利がある。
しかし、今年、メリールウは優桜と一緒にサリクスにチョコレートをくれた。なので、サリクスは優桜に返す分をメリールウと同じに扱う必要があるのだ。メリールウにだけ特別なお返しをすれば優桜が割に合わなくなってしまう。どう考えたってこの二人は1フェオの単位で割り勘しているのだから。優桜とメリールウを特別扱いに、ともいかない。友人としていちばん付き合いの浅い優桜を特別扱いすれば、付き合いの長い他の友人がいい気がしない。全員を特別扱いしようとすると、財布が悲鳴をあげる。
「自慢はもう終わりか?」
サリクスの最近いちばんの悩みを、ウッドはその一言で粉砕した。
「なんだよ人が深刻に悩んでんのに」
「深刻言うな。事務所に相談に来る人に申し訳ない」
せめて真剣と言えと、ウッドはそう訂正した。
「ヴェルデ・マーレの「水精霊の煌めき」ってバッグチャームがいいんだよな。ルーが欲しがってたし、超クールでカワイイって店の女の子の間でも話題沸騰で」
サリクスが出した名前は、若い女の子の間で、口コミで広がっている人気店だった。エネルギーのなくなった価値のない力包石(パワーストーン)を削り直し加工したものを装飾用に使っていて、その独特の加工方法から、その店のアクセサリはまるで水に反射する陽光のように光るのだ。男が見ても確かにきれいだと思う。中でも人気なのが青い色を使ったデザインだった。
それを聞いたウッドは渋い顔をした。
「バッグチャームを十個以上ってのはキッツイよな」
「そういや、ウッドはお返しどうすんの? もらったんだろ?」
食堂の従業員は大半が女性である。全員から連名でもらった場合、ウッドはサリクスよりたいへんなことになる。
そう指摘したら、なぜかウッドは得意げに笑った。
「大丈夫だ。ぬかりない」
「は?」
「うちはチョコレートの贈答禁止」
皆さんは全員、大事な従業員です。なのでチョコレートなどで確認する必要はありません。この時期は朝礼でそう言っているのだそうだ。
「この悪徳事業主……」
「今頃気づいた?」
含み笑いするウッドとこのまま会話しても意味がなさそうなので、サリクスは切り上げることにした。しかし、どう考えても八方丸く収まる結論はでなかった。結局、サリクスは同じブランドの「火精の囁き」というキーホルダーを人数分購入した。サリクスの予算で人数分買うのはこれで限界だったのだ。
仕事前に届けに行くと、メリールウと優桜は事務所で手伝いをしていた。個別に包んでもらったキーホルダーをふたりに渡す。
「ありがと!」
メリールウは包み紙を破ってがさがさと、優桜は律儀にテープをはがして開封した、出てきたキーホルダーに、ふたりはそれぞれ、嬉しそうな笑顔を見せた。
「かわいい。さっそくバッグにつけるね!」
「ありがとう、サリクス」
本当に贈りたかったものとは違うけれど、喜んでくれたからいいか。サリクスがそんなふうに思った時だった。
「あれ、これってウッドがくれたのとおんなじお店?」
包み紙を丁寧にたたんでいた優桜がそう言った。
「は?」
問われたメリールウが、事もなげに頷いた。
「そだよー。ヴェルデ・マーレの包み紙。おんなじ、おんなじ」
「そういえば、雰囲気が似てるね」
そう言って優桜が傍らの鞄から取り出したのは、あの日話題にしたバッグチャーム「水精霊の煌めき」だった。
メリールウが欲しがっていたもの。サリクスが買えなかったもの。
「ウッドお前、言ってることとやってることおもいっきり違ってんじゃないか!」
サリクスに睨まれ、ウッドは肩をすくめた。
「会社がらみは禁止に出来ても、個人的なものまで禁止にできんだろ。そんな封建主義な会社に誰がついてくるんだ」
「こんな時だけ真面目な経営者ぶるなー!」
「一応まずいかなとは思ったんだぜ? でもお前結局買わなかったわけで」
「買えなかったから悪いんだろ!」
激高し続けるサリクスと、しめあげられ続けるウッド。さすがに罪悪感はあるのか、彼は一切抵抗しなかった。
「どうして? サリクスなんで怒ってるの?」
メリールウが首を傾げる。
「おんなじのがふたっつにならなかったのに、どうして怒るの? あたしもユーサも、ふたっつとも大事にできるのに」
メリールウはサリクスから贈られたキーホルダーを片手で掲げ、空いていた手で優桜の手を引っ張った。優桜の手のひらには、ウッドから贈られたバッグチャームが乗っている。
「ふたりともありがとう。ずっと大事にするね!」
そう言って笑われたら、サリクスが怒る理由はなくなってしまった。
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