幻影魔術師
幻影魔術師
ニーベルンゲン魔法学校。
飛行術・変化術・幻影術・薬草術・召喚術・占星術……といった、いわゆる『魔法』を教える学校である。
入学案内が届くわけではなく、他の高等学校と同様、生徒募集の告知が新聞に掲載され、希望者は試験で選抜される。この試験の内容は一般教養であり、魔法に関する要素はない。初等教育を修めていれば誰でも挑戦は可能だ。ただし、俗に『魔力』と呼ばれる、空気中の『魔法素(マナ)』を操る力があるかないか、または強いか弱いかは入学後おおいに影響するので、ニーベルンゲン魔法学校を志す者はまず最初に、魔法使いに頼んで、自分の扱える魔力を測量してもらうところから始まる。ここで魔力が弱いと判断されても、ニーベルンゲン魔法学校はその門扉を閉ざすことはしない。魔力は弱くとも魔法学者になりたいという気骨ある若者がいる場合があるからだ。
要するに、教える科目が若干特殊なだけで、普通の高等学校と変わりはないのである。町のど真ん中にあるので全寮制でもない。生徒はほとんどが各自の家から通学している。
前述のように『魔力』と呼ばれる『魔法素』を操れる力の強弱も、入学には関係しない。だから生徒には由緒正しい魔法使い一族の血統の子供もいるし、町のパン屋の子供もいる。
魔法使いになる条件も、たったのひとつ。用意されたカリキュラムを、卒業までに全て消化することである。そうすれば卒業証書とともに、晴れて『魔法使い』と認定される。
魔法使いの操る術は多岐に渡り、この世界においてはどんな場面でも重宝される。それゆえ、魔法使いとして身を立てようとする若者は多い。入学試験がそんなに厳しくないため、ニーベルンゲン魔法学校の志願者は毎年のように増加傾向である。
しかし、卒業する者の人数には目立った増加がない。それは、ニーベルンゲン魔法学校の履修内容の厳しさに由来する。
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「アルエ・ヴァルター!!」
町でもおなじみ「ニーベルンゲンの鬼姫」こと幻影術担当の教師、ミランダ・マニトゥの怒鳴り声が教室に響く。
怒鳴られているのは、教壇に立って自分の幻影を発表していた少女だった。
腰まで届くまっすぐな黒髪と、白い肌。切れ長の瞳は紫色で、制服の黒いローブを着ているといかにも魔法使いのように見える。
ただし、見る人が見れば彼女は魔法使いではなく、まだひよっこの初回生であることがわかる。黒いローブには、銀の五紡星のバッジがつけられている。中央に刻まれた数字は、初回生を表す「1」だ。
少女――アルエは、教卓に幻影を出現させていた。
赤くて丸い胴体に、にょろにょろの足が8本。
正真正銘、どこからどうみてもタコ以外の何物でもなかった。
黒板には今日の日付で「幻影術課題:教卓に凧を出現させて飛ばす」という覚え書きがある。
「その見苦しい幻影をさっさと消しなさい!」
ミランダの叱責が飛ぶ。
アルエは外見に似合わないあわてた様子で、魔法の源であるマナを結晶化させたスティックを握ったり離したりしていた。どうやら、解除の呪文が思い出せないらしい。
「魔法なんて、呪文を唱えて杖を振るだけだ」と思っている人は多いが、それは間違いである。
アルエのような初回生がニーベルンゲン魔法学校に入学してまず最初にやらされることと言えば、黒板いっぱいに細かい字で書かれた、意味不明の古語呪文をノートに写して覚えることである。「飛べ!」というそれだけの意味の呪文が、ノートにして三ページ分もあったりする。加えてそれを暗記し、さらに発音も暗記し、正確な発音で完璧に詠唱しないとマナは発動しない。
また『思い描く』修行も大切で、飛行なら飛ぶイメージを、幻影なら描くもののイメージを強く持つことも要求される。
呪文学であれば分厚い辞書と格闘し、呪文と発音を調べる課題。幻影術であれば、描く対象をスケッチする課題。薬草術であればその効能を調べる課題。こうして初回生の前には課題が文字通り山積みとなる。もちろん、提出が遅れたり間違いがあれば、追加と称してさらに課題がやってくる。各期末の試験の結果が重視されることは当然として、未完の課題がひとつでもあれば、これも容赦なく落第する。ニーベルンゲンの入学者が増えても卒業生が増えない理由はここにある。
入学は比較的容易いのだが、卒業が桁違いに難しいのだ。
これを乗り越え、そして、吐き気がするほど繰り返し、古語の意味が一言一句完璧にわかるころになって、生徒はようやく短い呪文でマナを発動させることができるようになる。
「イッヒ、ハイセ、アルエ・ヴァルター。イッヒ、ベテ……ビテ? ビテ、ズィー、アオス……アオスなんだっけ。えっとえっと……」
焦りながらも、アルエは必死に解除の呪文――初回生が知っている長い呪文を唱えようとするのだが、焦ってることが災いし、何度もつっかえてしまう。何カ所も間違えてながら。
タコは教卓の上で悠然とその身をくねらせている。
それがまた、ミランダの怒りに火を注ぎ。
「エアレッシェン!」
教室の後ろから生徒たちを監視していたミランダが、いらいらと消滅の高度呪文を唱える。アルエが四苦八苦して消せなかった幻影は、あっさりと消失した。
教壇につかつかと歩み寄りながら、刺々しい声でミランダが言う。
「アルエ・ヴァルター」
「はい」
「私は、貴女に何の幻影を出すようにいいましたか?」
「はい……たこです」
「そう。凧です」
ミランダは自分の杖をぱしりと、自分の手のひらに打ちつけた。
「おおかた古語辞典を調べるのに手を抜いて、最初に目についた単語を呪文の中に投げ込んだのでしょう。全くなげかわしい」
アルエはしょんぼりと方をすくめる。
ミランダは苛立ちをぶつけるように続けた。
「貴女は私をバカにしているのですか? 貴女が描く幻影といったら、いつも人をおちょくっているようなとんちんかんなものばかり」
教室に三十人はいる生徒の前で、ミランダはアルエへの説教を止めない。
「それとも……貴女にはもう全てがわかっているのかしら。なにしろ貴女は天才幻影師と誉れ高い、ヴァン・ヴァルター卿の妹君ですものね」
ミランダが意地悪く唇を吊り上げる。アルエは恥じ入るように目を伏せた。
「こんな魔法学校の、私のちゃちな授業なんか受けなくても平気だと思ってるのでしょう? でも生憎、貴女の卒業単位を認定するのは……」
「先生」
次から次へと出てくる言葉にたまりかねたように、生徒のひとりが手を挙げる。
演説をふいにされたミランダは、あからさまにむっとなった。
「何ですか。ティナ・ファーロス」
「もう次のクラスに移動する時間なんですけど」
ミランダはティナを睨み、さらにアルエも一睨みしたのだが、アルエを押しのけて教壇に立ち、クラスの終わりを宣言した。
生徒達が移動をしようと立ち上がり、教室がざわつく。
怒られていたアルエも、やっと解放されたとばかりに教壇を降りかけたのだが。
「待ちなさい。アルエ・ヴァルター」
ミランダに呼び止められてしまった。
「はい、先生」
ミランダは、きゅっと唇をつりあげた。
「今日の課題は失敗したのだから、貴女には追加の課題を与えます。
来週のこの時間、黒板いっぱいに幻影を描きなさい」
「ええっ?!」
アルエは思わず声をあげた。
初回生であるアルエ達が描ける幻影といえば、小さい物が精一杯。さっきのように、教卓の上に出現させられる程度だ。黒板いっぱいになんて、論外なのである。
「そんな」
「題目は自由なのよ? それに、ヴァン・ヴァルター卿直々に指導してもらえる貴女にはたいしたことないでしょう? もし失敗するようなら、古語辞典をAからZまで写して提出してもらいますからね」
とりつくしまもない口ぶりで言うと、ミランダはさっさと教室を出て行ってしまった。
「アルエ! 大丈夫?」
教壇で放心しているアルエに声をかけたのは、さっき手を挙げたティナという女生徒だった。
明るいライトパープルの髪に目鼻立ちのはっきりした顔の美人。浅黒い肌が魔法使いというより踊り子を思わせる、そんな少女だ。
「ティナちゃん!!」
友人の姿に、アルエはたちまち目を潤ませると、教壇を飛び降りてティナに抱きつこうとした。
が、ローブの裾がつま先にひっかかり、アルエはすっ転んでしまう。びたんと派手な音がした。
「アルエ?!」
「いたた……」
鼻を押さえて起き上がったアルエに手をかしてやりながら、ティナが苦笑いする。
「アルエって、ホントにドジなんだから」
「ごめん」
「謝ることなんかないって」
ティナはさばさばと手を振った。
「タコと凧の勘違いだって、古語辞書はちゃんと調べてたんでしょ? あれややっこしかったもんねえ」
同じページに載せることないじゃんねと、ティナが首を振る。
次のクラス――薬草術に移動する準備をしながら、アルエは頷いた。
「ちゃんと違いはわかってたのよ? でも、教壇に立ったら頭が真っ白になって、どっちがどっちだがわかんなくなっちゃったよ」
「気にしちゃダメよ」
「うん。ありがとう、ティナちゃん」
友人と肩を並べて教室移動をしながら、アルエは礼を言った。
「しっかし、あの鬼姫もえげつないよなぁ。ヴァン・ヴァルターの妹だからって理由で、アルエにさんざつっかかるんだもん」
ヴァン・ヴァルター。
さっきから名前の出ているこの人物は、アルエの年の離れた兄である。
三年前にニーベルゲンを卒業したばかりの、まだまだ若手の魔法使い。ただし、幻影の腕はなみいる古参の魔法使いをはるかに凌駕し、描き手が男性であるとは思えないほど優雅で、幻であるとは信じられないほど繊細な幻影を出現させる。その腕前を見込まれていまや各地でひっぱりだこになっている、魔法使いの間ではちょっとした有名人なのだ。
ついた通り名が『若手天才幻影師』。人々はヴァンをそう呼んでもてはやしている。
「きっとねたましいのよ。自分はしがないオールド・ミスの貧乏教員。ヴァンさんは人気者の有名魔法使いだもんね。ニーベルンゲンも教員として獲得するの狙ってたってゆーし」
「そういえば、お兄ちゃん断りの手紙書いてたっけ」
「おっと。急がないと次のクラス遅刻しちゃう」
「きゃあっ!」
アルエとティナはばたばたと廊下を駆け出した。
アルエが超難易度の課題を思い出したのは、薬草にまたまた長い呪文とマナとを吹き込んでいる時だった。
あわてたアルエは調合器具をねこそぎひっくり返し、薬草術の教師からもお小言をもらう事態になってしまった。
#####
「はあ……」
アルエはとぼとぼと海岸沿いの道を歩いていた。
アルエの家はニーベルンゲン魔法学校がある町のはずれの海辺にある。
ティナの方はというと、町中にある魔法素工房の一人娘である。今日も店先でちょっと立ち話をしてから別れたので、時刻はもう夕方だ。オレンジの光が砂浜をきれいに染め上げている。
「課題、どうしようかな」
はっきり言えば、アルエの実力では不可能である。
そもそも何を描けばいいのかがわからない。まだ提示してくれれば、アルエもそれを目標に調べて、呪文を覚えて努力するのだが。
アルエは大きく息をついた。
自分はどうして魔法使いを志したのだろう?
学校に入ってから、アルエは大量の課題に加えて「ヴァン・ヴァルターの妹」という目で見られてきた。失敗すればあいつの妹のくせにと言われ、成功すれば兄に入れ知恵されているのだと言われる。アルエにヴァンを重ねないのは、ティナくらいのものである。
ヴァンが嫌いなわけではもちろんない。兄姉のなかでは、アルエはヴァンがいちばん好きなくらいだ。年の離れた自分とよく遊んでくれた、心優しい兄さん。
なんで、自分は魔法使いになんかなりたかったんだろう。そう思う。
ヴァルターの家は、魔法とは何のかかわりもない海辺の農家である。友人のティナは、将来、実家の魔法素工房を継ぐためにある程度の知識が必要だという理由でニーベルンゲンに進学しているのだが、アルエにそういう理由はない。
比較されるんだったら、いっそのこと……課題だってしんどいばかりだし。
アルエの足は自然と砂浜に向いた。
さくさくと、足の下で砂が気持ちいい音を立てる。海辺育ちのアルエは、幼いころよく砂浜でヴァンに遊んでもらったものだった。
と、アルエは砂浜に、小さな子供が座り込んでいる人影をみつけた。
「?」
こんな時間に何をしているんだろう? 波に足を取られて転んで動けなくなっているのだろうか?
アルエはそっと近づいたつもりだったのだが、砂を踏む音は意外に響く。人影はすぐにアルエに気がついた。
人影の正体は、おさげの髪をした五つくらいの少女だった。
おそらく、色素の薄いプラチナブロンドをしているのだろう。その髪は夕方の光線に染められて、きれいな紅色になっていた。瞳も服も同様だ。
夕焼けの妖精といっても過言ではない、愛らしい容貌。よく見れば、子供の膝にはちいさな落書き帳とクレヨンが広げられている。
女の子はアルエを見ると、はにかむようににこっと笑った。
「何をしているの?」
アルエも笑い返す。
「絵を描いてるの」
女の子はアルエに落書き帳を示した。
「何の絵?」
「海の絵だよ」
そこに描かれていたのは、水平線とオレンジ色の空。
クレヨンと子供の稚拙な線だったが、ちゃんとこの海の、この夕日だということが伝わってくる。
「上手だね」
アルエが落書き帳を返すと、女の子は嬉しそうに笑った。
「シャロンもお姉ちゃんみたいな『げんえーし』になれるかな?」
そう、問いかけて来た。
「幻影師?」
「その服、『げんえーし』の服でしょ?」
「ああ」
魔法使いの正装も黒のローブなので勘違いしているのだろう。認定された魔法使いのバッジは金の六紡星で、その人が何を得意とするかがバッジの中に紋章で刻まれている。この子はまだ、そんな決まり事がわかっていないのだ。
「幻影師になりたいの?」
「うん」
女の子は歯を見せて笑った。
「シャロン、『げんえーし』になりたいんだ。『げんえーし』は絵をいっぱい描けるんでしょ?」
「絵を描くのが好き?」
「うん!」
よく砂浜をキャンバスにして絵を描くのだと、女の子は秘密を打ち明けるような口ぶりでアルエにささやいた。
「紙に描くとはみだしちゃって、ママにしかられるから」
「そっか」
アルエは女の子の髪をくしゃっと撫ぜた。
「絵が得意なら、幻影師に向いてるよ」
「ホント?」
「山ほど描いて、呪文も山ほど覚えなきゃなんないけどね」
そう、肩をすくめて付け足した。
「シャロン? あれ、どこにいっちゃったんだろう。ごはんだよ?」
近くにあった民家から声がした。女性の声。この子の母親だろうか。
「あ」
女の子がぱっと顔をあげて、落書き帳とクレヨンを抱える。
「ママが呼んでる。お姉ちゃん、バイバイ」
「バイバイ」
手を振ると、女の子はもう振り返らずに自分の家へと駆けこんで行った。
残されたアルエはひとり、夕方の海と向き合う。
「きれいだな」
つぶやいた声を、海風がさらっていく。風に吹き散らされた長い黒髪を、アルエはおさえた。
広い海。それをつつみこんで広がる、もっと広い空。
自分がちっぽけな存在のようで。その自分がかかえる悩みは、もっとちっぽけのようで。
ふと、アルエは自分があの女の子くらいの時に何を考えていたのかを考えた。
確か、ヴァンはもう魔法学校の高学年になっていて。
その頃から幻影の天才的な腕前は評判になっていたように思う。
アルエが両親とケンカして納屋で泣いていた時、入って来てなぐさめてくれたのが確かヴァンだった。
『アルエ』
納屋に収められた道具の隙間で身を縮めている妹の姿に、兄は苦笑した。
『こんな暗いところにこもってると、気分がふさぐよ。出ておいで』
『やだ。だって、パパとママが悪いんだもん』
『父さんも母さんも本気じゃないよ。だいたい、アルエはまだ小さいんだから、農場が継げる訳ないんだって。冗談だったんだよ』
『アルエは、お花屋さんになりたいのっ!』
アルエはぷいっとそっぽを向くと、道具の山にますます深く入って行く。
『困ったな』
ヴァンは頭をかいていたのだが、やがて思いついたように自分の杖を取り出した。
『ズィー、マーレン』
幻影の呪文が納屋の床に落ちる。
『ズィー、マーレン、ブルーメ!』
杖の先の、結晶化されたマナが光る。次の瞬間、納屋は花畑に変化していた。
『えっ?』
アルエの好きな、春の畑にさくピンクのレンゲの花だ。
『これで少しは明るいだろ?』
『これ、おにいちゃんの魔法?』
アルエは大きく目を見開く。
兄が魔法学校に通っていることは知っていたが、兄が魔法を使う姿は見たことがなかったから、その時の驚きはすごいものだった。
『すごーい。今は秋なのに』
アルエは手を伸ばしてレンゲの花を摘もうとするが、その手は冷たい工具に当たったように弾き返された。
『痛っ』
『これは幻影だから、触れないよ』
ヴァンはそう言った。
『そうなの?』
『もっと腕のいい人なら、質量のある幻影が描けるっていうけどね』
『アルエも描ける?』
いつの間にか、アルエは道具の山から出て兄の側に寄っていた。
『そうだね。やってみる?』
ヴァンは自分の杖をアルエに手渡してくれた。その杖はアルエには長く、ヴァンが支えてくれてやっと持つことができた。
『ねえ、何て言うの?』
『最初は長い呪文からはじめるんだけど……まあいいか。“ズィー マーレン ブルーメ”だよ』
『ズィー、マーレン、ブルーメ!』
そっくりそのまま真似をしてアルエが叫ぶ。
と、杖の先の結晶が弱く光って、アルエの目の前にぽうっと光の花を出現させた。
レンゲの花のようだが、花びらが一枚一枚水晶の結晶のように光って、まるで宝石でできた花のようだった。
『うそっ。アルエ、凄いじゃん』
ヴァンが思わず声を出す。
アルエは触ろうとしたのだが、その前に宝石の花はもろもろと崩れてしまった。
『ああーっ』
アルエの顔が悲しくゆがむ。ヴァンは顎に手を当てて何か考えていたようだったが、アルエの視線に気づくと、ぽんとその手をアルエの頭に乗せた。
『イメージ不足だな。幻影を描く対象のイメージが弱いと、こんなふうになるんだよ』
『そうなの?』
『色がついてなかったろ?』
アルエはしばらく自分の手をみつめていたのだが、やがてつぶやいた。
『お兄ちゃん。アルエは魔法使いにはなれない?』
兄は首を振った。
『まさか』
『なれるの?』
『失敗したとはいえ、はじめてで花が出せるなんて事めったにないよ。元々のイメージが強いのかな……アルエ、幻影に向いてるよ』
『じゃあ、アルエは幻影師になろうかな』
がらりと意見を変えた幼い妹に、ヴァンは苦笑した。
『おにいちゃん、どうやったらおにいちゃんみたいにきれいな幻影が描けるの?』
『そりゃ修行だよ。ニーベルンゲンに入って、最初はすっごくタイヘンだけどひたすら書いて描いて……できる?』
ヴァンはアルエを覗きこんだ。
『うん!』
アルエは元気に頷く。
『それじゃ、アルエ。頑張るんだよ』
ヴァンはそう言って笑うと、まだ苦労知らずの幼い妹の肩を叩いた。
「頑張るんだよ、か」
あの頃は素直だったなあと、しみじみとアルエは回想する。
そうして、思い出した。
自分が魔法学校に入った理由。
兄のように、あの女の子のように、自分も幻影が描きたかったのだ。
それだけの、本当にただそれだけの理由。
この夕焼けの前では、砂粒ほどの価値さえないかもしれない理由。
でも、それだっていいではないか。自分が望んだ、大切な『夢』だ。
課題ができなくても、兄のことで馬鹿にされても、そんなことこそどうだっていい。大事なのは、アルエが幻影を望んでいることだけだ。
「なんだか、今日の夕焼けは忘れられそうにないな」
大切なものを思い出させてくれた、あたたかくて切ない光。
アルエは小さく呟いて、オレンジの光に目をすがめた。
そして、課題のためにと、その夕日を浴びながら早足で家路をたどった。
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一週間後。
「それじゃ、アルエ・ヴァルターに幻影を披露してもらいましょうか」
ミランダが意地悪く言って、教壇を空ける。
「はい!」
対するアルエは元気そのものだ。後ろの席では、ティナがはらはらして行方を見守っている。
アルエは教卓に進み出ると、杖を取り出した。
大切なのは、イメージだ。今、いちばん忘れられないものは何?
大きく深呼吸して、アルエは黒板に向かって呪文を唱えた。
「ズィー、マーレン!」
高学年用の、短い呪文である。
「え?!」
ティナが、教室がどよめき、ミランダが意地の悪い笑みを浮かべる。
けれど、アルエは全く気にせず、一気に呪文を唱えた。
「ズィー、マーレン、アーベントロート!」
その次の瞬間。
見事な夕日の幻影が、教室をオレンジ色に染め上げた。
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