Crier Girl & Crier Boy

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Crier Girl & Crier Boy

 中学の頃、わたしは浮いた生徒だった。
 別に、いじめられっこというわけではなかった。けれど、派手で元気なグループにも、真面目なクラス委員のグループにも溶け込むことができなかった。
 気がつけば、いつも一人で窓の外を眺めていた。黒髪を後ろで、校則通りの黒いゴムで一束ねにし、眼鏡をかけたさえない生徒。
 一人でいるのが苦痛だったわけじゃない。
 けれど、学校っていうのは、団体行動を学ぶ場所だから。
 一人では、何をやっても他の子のように上手くはいかなくて。
 ……それが、少しつまらなかった。

 そんな日々の、ある日の出来事。

 美術の時間に与えられた課題は、数人でグループを組んで一つの作品を作るというものだった。
 周囲が次々に仲のいい友達とグループを作り、先生に組み合わせを報告していく中で、わたしはいつものように一人だった。
「吉澤さん、一人班じゃん」
 周りの女の子たちがくすくすと笑う。
「ん? 吉澤、一人か?」
 グループを確認していた美術の先生が、そう聞いてくる。
「……一人でやったらだめですか?」
 おずおずと聞いた私に、先生は困ったように顔をしかめてから、教室の後ろの方を振り返った。
「ちょうどいいから、堤と組んだらどうだ? 堤もまだ一人だから」
 先生の視線の先にいたのは、小柄な男子生徒だった。
 確か、堤圭介って名前。
 賑やかなクラスの中で、おとなしくて、目立たなくて。
 やっぱり、いつも一人で。
 わたしに意見を差し挟む余地はなかった。きっと、堤くんも同じだったと思う。
「それじゃ、吉澤は堤と! ほらほら移動して」
 先生は助かったとばかりに、わたしに堤くんの隣の席に移るように言った。
 最初の一時間ぐらいは、お互いずっと黙っていたように思う。
 伏し目がちに、堤くんを観察する。背中を丸めているから、小柄な体がいっそう小さく見える。前髪が伸びて目を隠しているけど、よくよく見てみたら、男の子にしては目が大きい。なんだか子犬みたいだなと、その時思った。
「作ろうか」
 やがて、どちらからともなくそう言い出して。
 二人で案を出した。ステンドグラスを作ることにした。
 木枠に黒い紙を貼る。そして、その紙を切り抜き、後ろから色セロファンを貼る。木枠には飾り彫りを入れることになった。
 木枠を作るのは、堤くん。紙を切り抜き、色セロファンを組み合わせるのがわたし。
 ステンドグラスの図柄は、二人で考えた。図書館で何冊か写真集を借りてきて、結局、花火のデザインになった。花火って、夜空に宝石をばらまいてるみたいだねと、そんな風に言って、二人で笑った。綺麗だねと。
 きっと、美術の先生は、ひとりぼっちのわたしたちが作業を通じて仲良くなることを期待していたんだと思う。そんな先生の意に反して、わたしたちは――少なくともわたしからは、堤くんと美術の時間以外に会話をすることはなかった。
 それでも、美術の授業を受けている間だけは、わたしたちは一人ではなくなっていた。
 二人しか人数のいないわたしたちの作業は遅くて、居残りすることすらもあったけれど。
 不思議とあたたかく、楽しい時間だった。

 その後、作られた作品は、教室の後ろに飾られた。
 教室には西日が入ったから、午後になるとひざしが色セロファンを透かして、教室の壁に鮮やかな花火の模様を浮かび上がらせる。わたしは、それを眺めるのが好きだった。
 堤くんも、同じだったんだと思う。よく目が合ったからね。
 わたしたち、あの花火を大切に思っていたんだ。
 けれど、綺麗なものがすべて、綺麗なまま終われるとは限らない。
 掃除の時間だった。
 男子が数人、箒でふざけていた。女子も何人かはやしたてていた。たまたま、派手で賑やかな人たちが掃除当番に当たったから、止める役がいなかったんだと思う。
 男子はふざけ、教室を走り回る。女子がわめき立てる。おどけて振りかざされた箒の柄はくるりと空中を踊って、わたしたちの作ったステンドグラスに、当たった。
 ガシャンと、甲高い音がした。箒の柄と当たった木枠が外れ、その重みに耐えきれず紙が破れる。バランスを失ったステンドグラスは、ばらばらと崩れて床に落ちた。
「あ」
「あーあ」
 ふざけていた数人は、ぴたりと騒ぎやみ顔を見合わせた。
「これ、誰が作った奴だ?」
 男子生徒が上履きで、ステンドグラスの残骸を示す。
「吉澤と堤じゃなかった?」
「あー……あいつらなら別にいっか。放っとけ放っとけ」
 そして、彼らは他のゴミと一緒にステンドグラスの残骸を教室の隅に寄せ、足早に出て行った。
 彼らは、わたしが教室にいたことに気づいていなかった。わたしがのろのろと捨てられたステンドグラスの側に歩み寄ると、いつの間にか堤くんもそこにいた。
 堤くんも教室にいたのだ。わたしは、気づいていなかった。彼らも気づいていなかった。だから、彼らはきっとわたしにも気づかなかったんだろう。そう思った。
 わたしたちは、無言でステンドグラスの残骸を見ていた。
 紙が破れ、木枠も崩れたそれは、さっきの時間まで綺麗だったそれは、ゴミにしか見えないものに成り果てていた。
 寄り場のない、一人きりのわたしと堤くんが作った作品だから、謝ってくれる人も、直してくれる人もいなくて、こうしてゴミにされてしまった。
 わたしたちには、大切なものだったのに。
 しばらくして、堤くんが、ぽつりと言った。
「僕らはどうすれば、大切なものを守り通せるんだろう?」
 その言葉は、ずきんと胸に響いて。

 結局、それからわたしたちが言葉を交わすことはなかった。
 気まずくなったわけではなく、単純に受験がはじまり忙しくなったからだった。クラスの他の子とは、元々、会話自体がなかった。
 わたしは、少し離れた女子校に進学を決めた。堤くんのことは、噂で近所の公立高校に進学したと聞いた。
 高校に入るのをきっかけに、わたしは変わる事にした。まずは、外見から。
 メガネをコンタクトにした。ひとつ結びをほどいて、雑誌に載っていた美容院に行き、流行りのスタイルにカットしてもらった。服装にも、持ち歩く小物にも気を使った。
 そして、積極的に人の輪の中に入り込んでいくようにした。強引な手段も使った。自分の気持ちとは違うことも口にした。時には、人を裏切るような行為もあったんだと思う。
 そうして、表面だけ飾って磨いて、ぴかぴかにするのが得意になった。
 今では、友人がいる。グループという後ろ盾がある。
 それがあれば、大切なものが守れると思ったのだ。だから満足だった。

 大学に入った夏に、中学校の同窓会の通知が届いた。
 そこからは、いつもに増して飾って磨いて、ぴかぴかにして会場のファミレスに入った。
 体にぴったりした、露出の大きな服。プラダのバッグの中身は、同じブランドの財布と、手帳とコスメと携帯電話だけ。
「吉澤さん?!」
 驚いた人が大多数だった。まあ当たり前か。
 今の大学の名前を言ったら、すぐに派手めだったグループの子たちが輪の中に入れてくれた。わたしが行ってるのは、合コンで有名な女子大だったから。
 彼氏と、バイトと、友達の陰口。
 派手で楽しい、だけど、うわべだけの会話。
 他の人たちが「人って変わるもんだな」って囁いてるのが聞こえた。
「ね、ヨッシー。これから埠頭に花火見に行かない?」
 会話の中で、いつの間にか『ヨッシー』と呼ばれるようになっていた。あだ名で呼ばれることなんか、中学時代にはなかったのに。
 強くなれたかな?
 わたしたちの大切なもの、壊した人達と同じくらい強くなれたかな?
「花火大会?」
「Y大の学生も来るんだよ」
「へー、凄いじゃん」
「亜衣の彼氏のトモダチなんだ〜」
 そう言って身をくねらせたのは、あの頃グループの中心角だった女子だった。
「で、ヨッシー来る? この後二次会あるみたいだけど」
「行く行く。こんなだるい同窓会の二次会なんて付き合ってらんないし」
「そーだよね」
 その時、いちばん静かだった一角から、テーブルを叩く音がした。
 そこに座っていた小柄な男子が、立ち上がってテーブルを叩いたんだ。
 記憶の中と同じ、小柄な体格。だけど、前髪はきちんと散髪している。子犬のように大きな穏やかな目は、今はつり上がっていた。
「おい、堤?」
「吉澤さん」
 名前を呼んだ声はわたしが覚えているものより、ずっと低かった。
「……堤くん?」
 立ち上がると、堤くんはわたしの方に歩いてきた。木枠を作っていた頃よりずっとずっと強い手が、わたしの腕をつかんで引っ張った。
「やだっ、痛い! 何すんのよ」
「いいからっ!」
 堤くんはわたしをファミレスの外の駐車場に連れて行った。
「何で引っ張ってくんのよ? あーもう食事中だったから口紅ぐしゃぐしゃ」
「……何でそんなんになったんだよ」
 堤くんの声は怒っていた。
「は?」
「だからっ、何でそんなに派手になっちゃったんだよ?! 僕らの大切なもの、壊した連中の真似なんかして!!」
 わたしがこんなふうに変わった理由。それは……。

『僕らはどうすれば、大切なものを守り通せるんだろう?』

 あの声が胸に響いたから。
 『強くなりたい』って思ったから。
「……アンタが言ったんじゃない」
「え?」
「アンタが『どうすれば、大切なものを守り通せる』って言って、それでわたし強くなりたいって思って、だから変わったんじゃない! 堤くんなんか、何も変わってないじゃない!」
 感情にまかせて、堤くんを怒鳴る。
 堤くんも、怒鳴り返す。
「別に変わらなくったっていいじゃないか!」
「どうして?!」
 堤くんは、なぜか悔しそうな表情になった。
「変わらなくったって、あの頃の吉澤さんには吉澤さんの強さがあったはずだろ?! 何も他の人たちの真似なんかすることないはずだ!」
「だって、そんな」
 わたしは口ごもった。
 あの頃一人だった自分が、強いとは思えなくて。
 派手に生きてる子達の方が、ずっときらきらして強く見えて。
 わたしは、ただ……。
 答えに詰まったわたしの背後で、空気を震わす号砲が響いた。
「え?」
 振り返った視界の先に広がるのは、藍色の夜空。
 その夜空いっぱいに、光の破片が降りそそいでいく。赤、青、白……自在に変化し、輝いては消える。
 少し遅れて、また、雷鳴のような音が響いた。それは、わたしの体から心へと響いていく強い音だった。
「花火……」
 堤くんも空を仰いで、目を細めた。
「今日が花火大会だって、騒いでたね。ここからでも見えたんだ」
 いろいろな色が、藍色の夜空を彩っていく。
 まるで、両手いっぱいにつかんだ宝石を、空にばらまいたみたいだ。あの頃ステンドグラスを作りながら、わたしたちはそんなふうに言っていた。
 一生懸命にステンドグラスの色を選んだことを、思い出す。
 文房具屋で色セロファンを何枚も何枚も選んで、重ねて色を表現した。
 ああ。わたしは……。
 わたしはただ、あの花火のステンドグラスを守ってあげたかったんだ。
 一人ぼっちだったわたしがはじめて『二人』で作ったものだから。
 ただ、それだけのことだったんだ。

 変わったことがよかったのか。
 変わらないままの方がよかったのか。
 わたしは、答えが出せないまま。

 わたしたちはまた、初めてお互いの顔と名前を認識したあの美術の時間のように黙りこくって、次々と夜空に咲く花火を眺めていた。

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