Love&Place------1部3章6
リリィはなかなか帰ってこなかった。そのことで絵麻が心配していると、翔が先ほどの機械でどこかと連絡を取ってくれた。彼はリリィと、他の絵麻が名前を知らない人の現状を尋ね、二言三言話してから切り上げた。
「夕方には帰ってくるみたいだよ」
「本当?」
「うん。リリィは金髪だから狙われることもないし、実際のところ彼女は僕より強いんだよね」
絵麻はぱちぱちと瞬いた。想像がつかない。
「強いから声を出せなくても特殊部隊に入ってやっていけてるんだよ」
そう言われて、絵麻はああと納得した。でも、リリィの強さはそこだけではないと思う。彼女は心も強く優しい人だ。
少しでも何かを返したいと思い、絵麻はパンを焼くことにした。帰ってきた時に焼きたてを食べさせてあげたいと思ったのだ。
小麦粉を探したのだが、ここで使っている粉は物凄くきめが粗く、どこか黒ずんだ粉だった。それは籾殻が入っていることが理由のようだった。
「小麦粉ってガイアにはないの?」
「あるけど、僕たちの暮らし方では高級な粉を使い切れなくて駄目にしてしまうね」
「そんなに簡単には駄目にならないと思うけど」
翔が苦笑いして「絵麻はお嬢様なんだね」と言った。
「僕たちは物凄い好待遇なんだよ。平和部隊本部のある土地に住んでいるからかなり安全面が考慮されてるし、仮に襲撃されたとしても即座に平和部隊からの援助が受けられるんだから。貴人に生まれたとしたって、王様に極めて近い人じゃなきゃこんな待遇は受けられない。潤沢な食料を買う予算だって、もちろん請求しても構わないんだけど……」
翔はそこで言葉を切った。
「僕たちが支給してもらってる生活費って、平和部隊から出てるわけだけど、元を辿ると平和部隊の運営予算は国が集めた税金と、ガイアの人たちが平和部隊の運営している公共設備に支払ってくれたお金だからね。僕たちは命を張ってるわけだから、もちろん必要なぶんはもらうけど。だからって無駄にするまでもらっていいものじゃないでしょう。国中に有り余るほど食料があるってわけじゃないんだし」
無駄にしない使い方ができるなら検討するんだけどね、と翔は言った。確かにそのとおりだったし、内戦をしている国なら食糧事情は逼迫していそうだ。
「朝ご飯にパンしか食べないのも、そういうこと?」
「いや? 単純に作るのがたいへんってだけ。自分たちの予算に見合った食べきれるだけのパンってなると、あの固パンになるんだよね」
「パンを焼いてみてもいい?」
絵麻に聞かれて、翔は驚いたように目を丸くした。
「絵麻ってパンが焼けるの?」
絵麻は頷いた。
「ある材料でできると思うの。イーストがあったらもっと美味しくて保存ができるのも作れると思うんだけど、ないみたいだから」
「そっか」
「明日外に出るときにできたら買いたいんだけど……」
そう言った時に翔の表情が陰ったので、絵麻は慌てて謝った。
「って、予算の関係とかがあるんだよね。ごめんなさい」
「ううん。構わないよ。僕が自分の取り分から出すなら何も問題はないし。むしろ作ってってお願いしたいくらい」
買っておくからいつか作ってねと、翔はそう言った。
絵麻は今ある材料だけでイーストなしのパンを作り始め、なぜか翔も隣で粉を計っていた。相変わらず彼の料理の手つきは実験でもしているようだった。
「翔も何か作るの?」
「あ……うん。計るだけ計っておこうと思って」
彼は曖昧に笑うと、次に砂糖を計って、そのふたつを袋に入れて台所を出て行ってしまった。
急ぎの仕事も抱えていると言ったのに、何を作るのだろう? 絵麻には不思議だったのだがあまり詮索するのもどうかと思ったので、そのままパンを作るのに戻った。即興だったわりには美味しくできたが、やはりきちんとイーストを入れて発酵させたほうが美味しいのは否めない。
そのまま台所を掃除していたらリョウと信也が帰ってきて、一緒にリリィも顔を覗かせた。安心して思わず笑いかけた絵麻に、リリィは笑い返してくれた。
信也は翔を呼んですぐ階上に行ってしまったが、食事当番だというリョウに絵麻も申し出て、女性三人で夕食を作ることになった。
今日は蕪を丸ごと茹でて潰して味付けし、その上から瓶詰めの赤いソースをかけたものが主菜だった。絵麻が知っているものだとニョッキに近いように思われた。材料が違っているが。
この前の倍ぐらいの量を作っていたので、絵麻はリョウに「こんなに作って食べきれるの?」と尋ねた。昼に翔から聞いた話とだいぶ違うと思ったから。
「ああ。そろそろ出張してた子たちが帰ってくるのよ」
「出張?」
ここに住んでいるのは翔たち四人だけではないのだという。だから台所のテーブルもソファセットも大きな規格だったのだ。
「帰ってきたら、きっとびっくりするわね。料理が美味しくなっているから」
リョウに言われて、絵麻は何だかくすぐったいような気分になった。祖母以外からこんなに褒めてもらえたことはなかったから。
「お皿、何枚並べたらいい?」
「普段七人だから絵麻を入れて八枚ね」
言われた数の食器を出そうとして棚の方を向こうとしたとき、絵麻は台所と居間をつなぐ間口のあたりの空気がゆらゆらと揺れていることに気づいた。夏の暑い道に出る逃げ水を見ているようだった。
「ねえ、なんだかおかし――」
絵麻が叫び終えるより早く、その場所に閃光が炸裂した。直接見ていた絵麻は思わず目を覆う。皿をまだ手に取っていなかったのは幸いとしか言い様がなかった。
ようやく視力が回復したとき、絵麻はさっき閃光がほとばしった場所に人が三人立っていることに気づいた。
少年が三人だろうか? いつの間に入ってきたのだろう。
ひとりは色素の薄いプラチナブロンドの髪で、もう一人はグリーンのバンダナを巻いた鳶色の長髪、もうひとりはとびきり明るいピンク色の帽子を被っていた。他の二人はすぐに男性だとわかったのだが、帽子の人物だけは男女の区別がつかない。気の強そうな目と棒のような足は少年のように見えるのだが、逆さまに被った帽子と服は揃いのピンクなのだ。男性はあまり好まなそうな色である。
帽子の人物は近づいてくると、その勝ち気な目で絵麻を無遠慮に眺め回した。
「アンタ、誰?」
背丈は絵麻と変わらず、声は少女の高さだった。居丈高な様子に、絵麻は縮み上がって口がきけなくなった。
「あれ、唯美(ユイミ)? 帰ってたの?」
遅れてやってきたリョウは突然の闖入者にも驚かず、むしろ親しげに声をかけた。
「ただいま。今帰ってきたとこ」
「おかえり。お疲れ様」
「信也は? 報告しねぇと」
そう言ったのはプラチナブロンドの少年だった。リリィと同じように白い肌で目鼻立ちが整っており、瞳の色も海のようには晴れやかな青だった。口調の若干の荒っぽさと、冗談のように右腕を抜いて着崩した服装がなければリリィと同じく美形と言えた。
「アイツ、ちょっと遅れただけで怒るからな」
バンダナを巻いた少年がやれやれと言いたげに肩を落とす。あざやかなオレンジ色のタンクトップのような上着とハーフパンツ姿で、絵麻の元いた現代でも盛り場にいそうな雰囲気だった。肌の色も日本人的だ。瞳が宝石より鮮やかな蒼に染まっているのはカラーコンタクトでも使っているのだろうか。やはり絵麻と同年代に見えた。
「んじゃ、オレ行ってくるわ」
プラチナブロンドの少年が間口から出て行く。彼が踵を返すと、中身のない右袖がひらりと空に舞った。
どうやら彼らが『出張していた子たち』のようだ。翔たちと随分雰囲気が違うので、絵麻はすっかり縮み上がってしまっていた。
「で、アンタは?」
唯美と呼ばれた人物が視線を絵麻に戻した。注意して見てみれば肩も腰も細くなだらかで、両胸も薄くはあったが隆起していた。間違いなく少女だ。それも絵麻と同じ年頃の。
「わ、わたしは絵麻……」
絵麻がしどろもどろに返事をした時、いつかも聞いた目覚ましのアラームのような音がした。
「あれ?」
音はバンダナの少年の方から聞こえてきていた。周囲の視線を受けた少年は「ああ」と短く言うとポケットを探り、機械を出した。翔が使っていたのと同じものに見えた。音はその機械から聞こえていた。
「ずっと使ってたんだけど反応悪くなってたんだよな。ついにイカれたか?」
「え、血星石があるって出てる。そこの子が?」
少女――唯美が笑いながら絵麻を見る。
「何。この子、血星石なの?」
「唯美!」
リョウが「それ以上言うな」と言うように叫んだ。
「え?」
振り返ると、リョウが青ざめて口に手を当てていた。リリィはリョウを静止しようとしたのか、彼女の腕をつかんだままの姿勢だった。
『血星石を回収して破壊してください』
先ほどの男性の声が、なぜか思い出された。自分の手の中に沈んだあの不気味な石のことも。何でも教えてくれた翔たちが、そのことだけは説明してくれていなかったことも。
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