Love&Place------1部2章1
2章 卑屈な少女と不思議の石
そこはさっきまでの焼け野原とまるで違った、深い緑に囲まれた場所だった。
絵麻はきょろきょろと周囲を見回した。木は種類がいくつかあるようだが、絵麻が知っているものと全く同じものはないようだった。足下は焼け野原でもアスファルトでもなく、雑草に覆われていた。手入れされた芝生ではないが、生い茂るまま放置されているわけではないようだった。長さが歩く邪魔をしない程度に調えられている。
絵麻はそこまで観察して、森の中に溶け込むようにして建っている家屋に気づいた。見慣れた日本の家と違った西洋風の建物で、玄関にあたるであろう部分はぐるりとアーチ状に石が嵌め込んである。
「あの、ここは?」
「少しだけここで待っていてくれる? 説明してくるから」
翔は絵麻にそう指示して玄関に入っていこうとした。
「でも」
「大丈夫。この敷地の中なら安全。襲われることはまずないから」
翔は焦ったように言うと、家屋に入っていった。「ただいま」という声の最後に扉が閉まる音が重なった。それきり音は聞こえなくなった。
「襲われることはまずない、って……」
ないと言い切らなかったということは、少しは可能性があるということだろうか。
絵麻はもう一度周囲を見回した。怖いことにかわりはないのだが、荒れた景色が見えないだけで随分と安心できた。
しかし、ここはどこなのだろう?
どうも死後の世界ではないようだが、聞いたことのない地名で襲撃されるような日常が存在する場所である。ここまでなら海外のどこかなのかもしれなかったが、違う言葉を話し、魔法めいたことをやってのける翔と、彼が倒したあの黒い幽霊。絵麻が手にした途端に消えてしまった不気味な石。
これらは現代ではあり得るのだろうか? テレビ局のドッキリ?
首を振って、絵麻はその考えを打ち消した。自分はタレントではないのだ。
では、自分はどうしてこんな場所にいるのだろう。ここはどこで、自分は一体どうなってしまったのか?
そう考えると、指先まで冷たくなったように感じた。
「絵麻。絵麻ー」
呼ばれて、絵麻は玄関を振り返った。翔がドアから半分だけ体を覗かせて、おいでおいでと手招きしていた。
知らない建物に入ることを絵麻はためらったのだが、拒否してその場に留まる理由もなかったので結局、そちらに行った。翔に招かれるまま扉をくぐる。すぐに閉められた扉が、絵麻の背後で重い音をたてた。さっきもこんな音だっただろうか。
玄関は外観から想像されるとおりに洋風だった。靴を脱ぐ三和土がなく、汚れたマットが敷かれている。海外のように土足で生活する場所のようだった。絵麻はマットで念入りに靴の汚れを落とした。見てみると少し奥に階段があり、そこを中心にして左右に部屋があるようだった。
「敷地の中でも、外で待たせるのはあまりに不用心だろうって。もう少しだけここで待っていて」
翔はそれだけ言うと階段を上がっていった。
「えっと……」
ここは彼の自宅なのだろうか?
周囲は森だったはずなのに、正面から光が入ってきて玄関は明るい。カーペットが泥で汚れているのがよくわかるくらいだった。そういえば、全体的にどこかうす汚れているように見える。人は住んでいるようだったが。
階段が軋む音がしたので、絵麻は翔が戻ってきたのかと思ったのだが、そこにいたのは翔ではなかった。
緩やかな巻き毛の金髪を、首の後ろで無造作に一束ねにした女性だった。玄関に差し込む光を反射しているせいか、見惚れてしまいそうになるくらいに綺麗な金髪で、銀色のブローチで留めてあるショールから僅かに覗く手は真っ白だった。絵麻とは肌の色素自体が違う。新緑色の瞳をした、彫りの深い外国人の女性だ。少女なのかも知れなかったが、海外の人の年齢は絵麻にはよくわからない。
そして、その金髪の女性は、驚くほどに綺麗なのだった。凛として清楚。眉目秀麗で、調っているがゆえに絵麻の姉、結女と印象が被る。
髪の色も瞳の色も、左目の下に黒子があるのも、姉とは全く違っているのに。
「あの……?」
絵麻が震える声で問いかけると、彼女ははっとしたような顔で立ち尽くした。
「え?」
彼女はショールの下から何かを取り出した。それは筆記具のようで、彼女は慣れた様子で立ったまま何かを書くと、階段を降りてきて絵麻に手渡した。
渡されたものを絵麻は覗きこんだが、そこには見たことのない文字のようなものが書かれているだけだった。絵麻が知っているいちばん近いものは英語の筆記体だったが、知らない形も多い。英語ではなさそうだ。
絵麻は翔が話す言葉が日本語でないことを思い出した。発音される言葉はどういうわけか絵麻の中で日本語になるのだが、書かれる文字は違うらしい。
「ごめんなさい。読めないです……」
絵麻は頭を下げると女性にメモ帳を返した。女性がはっとしたような顔になる。絵麻の話す内容は女性に通じている様子だったが、彼女は何も言ってくれなかった。代わりに自分の喉を押さえると、すまなそうに頭を下げた。
その仕草で絵麻はようやく、彼女が話すことができないのだと気づいた。
「ごめんなさい……」
女性が横に首を振ると、金髪が一緒に揺れた。
彼女は誰なのだろう。翔は何をしているのだろう。聞きたいことはたくさんあるのだが、相手は話せないし、絵麻は読めなくて書けないのだからどうしようもなかった。
絵麻が困惑していると、女性は自身を指さし、同じ指で玄関の壁にかけられていた絵を示した。それは古びていたが花の絵で、形が百合の花によく似ていた。
そういえば、この女性の凛とした雰囲気は百合の花と似ている。
「もしかして、あなたの名前?」
女性は笑顔になると何度も頷いた。
百合(ユリ)というのだろうか。でも、外国人の女性に和名ではおかしいような気がする。百合は英語で何だったっけ?
自分の名前を言おうとして、先ほど翔に名乗るときに感じた違和感を思いだして絵麻はためらった。そんな絵麻の様子を女性は不思議そうに見ていたのだが、突然何かに気づいたように慌てだした。
「え?」
彼女はひどく急いたように、絵麻の首に手を伸ばしてきた。その様子は先ほどの姉を絵麻に思い出させた。
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