もどかしい距離
もどかしい距離
翔と一緒にいるようになってどのくらいだろう。
一緒にご飯を食べて、いろんな場所に遊びに行く。ほとんど翔が行きたい場所だが、それに文句はない。図書館に行く時、絵麻は料理の本を読む。科学館に行く時は、持って行くお弁当にこだわる。講演会の時は、帰り道に買い物に付き合ってもらう。そうやって絵麻本人も楽しんでいるし、翔も絵麻が楽しいようにあれこれと気を回してくれる。だから、感謝こそするが文句なんて出てこないのだ。
絵麻も年頃だから、理想のデートを思い描いたことはある。今がその通りかと聞かれるとそうではないが、翔と一緒に過ごす日々は、思い描いていたものよりずっとずっと幸せだ。
翔は三歳年上だから、絵麻より大人の視点から周囲を見ている。ガイアの常識がないことも相まってまだまだ世間知らずな絵麻を上手くフォローしてくれていた。反面で幼い子供のように世話をかけさせる部分があるが、そこに手をかけるのが自分の役割だと絵麻は思っている。それに、子供のように甘えてくる時の翔は可愛いのだ。そういう諸々の部分をひっくるめて絵麻は翔のことが大好きだ。
ただ、ひとつだけ不満なことがある。付き合うようになってだんだん不満になってきた。
好きだから、大好きだから当然のように触れたくなる。けれど、翔は手に傷があることを気にしているので、絵麻と手を繋ごうとしない。触れると汚すからと言って。
それはまだいい。翔が気にしていることだから、我慢する。
だから別の方法で触れたい。愛してるってきちんと伝えたい。
平たく言ってしまえば、絵麻は衝動的に翔にキスしたくなる時があるのだが、それができないのだ。
もちろん照れているというのもあるのだが、その前に物理的な問題があった。
翔と身長差があるために、触れられないのだ。
絵麻は背が低いわけではない。百六十センチに少し欠けるだけだから平均だろう。翔も平均的な身長ならなんら問題なかったのだが、彼のほうは平均以上の長身なのである。絵麻とは二十センチ以上の差がある。
絵麻の世界では、いっとき高身長がもてはやされていた。だから翔が背が高いことは、絵麻にとっては嫌なことじゃない。高いところのものを取ってもらったりもできる。
ただ、この身長差では絵麻からキスすることができないのだ。かがんでもらわないとだめだ。「キスするからかがんで」なんて恥ずかしくて言い出せない。
翔の方は自分で身をかがめてしまえばいいから、絵麻に触れるのは簡単だ。ふいうちのようにキスされるとびっくりするが、あとからじわじわ嬉しくなる。
だから、絵麻は翔にも同じようにふいうちでキスしたいのだが、どうにも機会が訪れない。恥ずかしいのを我慢して言ってしまえばいいのかとも思うが、それだとふいうちにならない。
たかだか二十センチが、ひどくもどかしい。
「ただいま」
そんなことを考えて台所で百面相していたら、リョウと唯美が外から帰ってきた。別にやましいことは何もなかったのだが、突然声をかけられて絵麻の顔が赤く染まった。
「? 絵麻、どうしたの?」
「どーせやらしいこと考えてたんでしょ」
唯美が意地悪く唇を歪める。
「違うもん!」
ますます頬が赤く染まったのが肯定だと言えた。
「翔となんかあった?」
「別に、なんにもないんだけど」
誤魔化そうとして、絵麻はリョウと信也にも身長差があることを思い出した。リョウは女性としては相当背が高いが、信也の方も大柄なのだ。翔よりまだ背が高い。
「ねえ、リョウはキスする時どうしてる?」
「え?」
聞き返されたのは当然だろう。話が唐突すぎる。
「何昼間っからエロいこと考えてんのよ」
唯美の蔑むような調子に、絵麻は居心地が悪くなって下を向いた。顔が熱い。
「何? やっぱりなんかあったの?」
リョウは苦笑いすると、絵麻に続きを促した。
「翔に無理やり迫られた? 絵麻は別の世界の人だから、常識が違うんじゃないかって心配してるんだけど」
優しい調子で心配され、絵麻は自分の気持ちを話した。
「座ってる時にすればいいじゃない」
それが唯美の冷めた返答だった。
「あ、そっか!」
「……そのくらいは自分で気づきなね?」
リョウにも言われ、絵麻はますます顔を紅潮させた。
「でも、歩いてる時に急にキスしたくなったらできないんだもの」
「公共の道路でされたら猥褻物陳列罪よ」
唯美は憮然としている。独り身でこんなのろけを聞かされていれば当然の反応か。
「わたし、おかしいかな? 色狂いになってる?」
「初恋なんだろうし、ふわふわしちゃうのは別におかしくはないと思うよ? 翔を路上で押し倒そうとしてるわけでもないし」
押し倒すという単語に、絵麻は瞬時に耳まで真っ赤になった。
「そんなことしない!」
「されたら困るわよ」
恋をすると、どうしてこんなにふわふわするんだろう。甘い感覚に酔わされて、まるで安定しなくなる。
「周りから見ておかしくない程度にしときなね? 今見てる限りだとヘンな感じはしないから、大丈夫かなって思うんだけど」
「じゃ、キスしたくなるのはおかしくはないのね?」
「往来で堂々とやらなければ。あと、いきなりこんな風に言い出さなければ」
よかったと、絵麻は息をついた。
「……でもそれって、リョウもキスしたくなる時があるってこと?」
「あたしにだって絵麻くらいの頃はあったんですからね」
リョウは僅かに口を尖らせた。
「どうやってたの?」
絵麻と唯美から聞かれ、リョウは一瞬返答に詰まった。しばらく間を開けてから、彼女はぼそりと告げた。
「つま先立ちで正面から抱きついた」
その頃は今ほど身長差なかったしと、リョウはそう言い添えた。
「積極的だったんだ」
「身内の話ほど気まずいものもないわね……」
絵麻が赤面し、唯美が目をそらして言い添える。だったら聞くなと、リョウはそう返した。
「でも、やっぱりずるいよ」
急に強い調子で言われて、リョウと唯美は不思議そうに絵麻を見た。
「翔はしゃがめばいいだけだからしたい時にキスできるけど、わたしからはできないんだもの」
「はいはい。直接翔に訴えなさい」
もう終わりとばかりに、リョウは首を振った。
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