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「……ここは?」
  光の洪水がおさまってから、絵麻はキョロキョロと辺りを見回した。
  絵麻たちは廊下に立っていた。
  立ち並ぶ扉。学校や役所を思い起こさせる、タイル張りの床。
「PC本部の中だよ」
「あの子は?」
  立っているのは、絵麻たち3人きりだ。
「唯美のこと?  彼女、自分以外も飛ばせるんだ」
「飛ばすって?」
「瞬間移動だよ。ボール使わなくていいから便利だよね」
  翔は平然と非常識なことを言う。
「うん……」
  “瞬間移動”なんて、絵麻の今までの16年間の常識ではどこをどうひっくり
返しても不可能だった現象だ。
  それがたった4日で、しかも4回も経験してしまった。
(4回……?)
  絵麻は自分の考えを訂正する。
  自分が全く別の場所に移動したのは6回のはずだ。
  闇の中から翔の上に落ちた時。そして……姉に殺されかけた時。
  この2つは、どう考えても説明ができない。
(わたし……ホントに常識からはずれちゃったな)
  そこまで考えた時、翔とリリィが歩きだしたので、絵麻はあわてて後を追っ
た。
  2人は最初の位置から何度か角を曲がって、奥まった場所へと歩いて行く。
  最後に曲がった、つきあたりかと思われた角はいきなり上り階段になってい
て、数段上った先に木製の扉が見えた。
「ここ?」
「そうだよ」
  翔が小さく頷く。
「絵麻は何も心配しなくていいよ。僕が全部説明するから」
  翔は言うと、扉を小さく3回たたいた。

  ノックの音が静かな廊下に響く。
「どうぞ」
  穏やかな声がして、開かれた扉。
  そこは昔の洋館のような部屋になっていた。
  部屋の形は台形で、床には赤い絨毯が敷きつめてある。家具は部屋の3面を
埋める本棚と、2つの机。どれもきれいに磨きあげられているが、同時に一目
で年代物だとわかる風格をそなえていた。
  本棚に占められていない正面の壁は台形の出窓になっていて、藍色の夜がの
ぞいている。
  その藍色を背景にする正面の机に、男性が座っていた。
  茶色の髪をしていて、椅子にかけていても長身だとわかる。
  髪と同じ色の瞳は穏やかながら、どこか威圧感を与えるものだった。
  年は30代の中頃だろうか?
  それにしては、不思議なくらいに風格が備わっている。
(この人が『総帥』……)
  絵麻は本能的にそう感じとっていた。
「お疲れのところをご苦労さまです」
  ふいに、すぐ横で声がして、絵麻は反射的にそちらを振り返った。
  銀髪を後ろで束ねた男性がいた。
  品のいいベストとスラックス。ちゃんとネクタイをしめたシャツを着ていて。
  執事か秘書といった雰囲気の彼は、この空間によく似合っていた。
  さっきの声。そして、扉を開けたのはこの人物だろう。
「血星石は持ってきていただけましたか?」
「はい」
  翔がポケットから、シールの貼られた血星石を取り出した。
「これはシエル達の方の石です。『封印』は施してあります」
「確かに」
  ユーリは確認すると、血星石を茶色の髪の男性に渡した。
「Mr。『処分』をお願いします」
「ああ」
  Mr、と呼ばれた男性に、ユーリは血星石ともう一つ、灰青色をした短い棒
のような物を手渡した。
  パワーストーンと同じく、何かの鉱石なのだろう。ところどころが欠けたり
細くなったり、中にはひび割れた部分さえあったが……人差し指くらいの長さ
のそれは、楔のようだった。
「血星石を含む物質はこれで全て『処分』できます。それが大型の鯨でも」
  Mrはそれを握りしめ、血星石に無造作に突き刺す。

  ザアッ…………

  聞こえたのは絵麻が予期した鉱石がぶつかりあう固い音ではなく、砂山が崩
れるような軽い音だった。
  Mrの手の中で、血星石はどんどん風化していく。
  はがれ落ち、さらさらの粉になって……指先から濃緑の霧が舞う。
  その霧でさえ、床に到達する前に空気にかき消されていた。
「……」
「『処分』完了だ」
  Mrが再び椅子に腰掛ける。
  その一連の動作を、絵麻は目を大きくしてみつめていた。
  これが、翔の言っていた『処分』。
  あの楔を打ちこんで、砂みたいにさらさらに崩れて……後には何も残らない。
  存在したという証しさえも。
(確かに『一瞬』だ……)
  一瞬で、存在自体がなくなってしまう……その恐怖に、絵麻は震える肩を抱
きしめた。
「ところで、その女の子は?」
  絵麻は肩を押さえたまま顔をあげる。
  威圧感のある視線が、真っすぐ自分をみつめていた。
「あ……えっと」
  肩を押さえていた手が、すとんと落ちる。
「この子は西部にいました。記憶が曖昧なようなので、僕が連れてきたんです」
  翔の言葉を、Mrは聞いていないようだった。
「名前は?」
「絵麻……深川絵麻、です」
「エマ?!」
  その響きに、Mrが視線を上げた。
「絵画の『絵』に植物の『麻』って字を書くんですけど」
  言ってから、どうでもいい解説をしたことに絵麻は気づいた。
  Mrはじっと自分を見ている。
  余計な事を言ったと、怒られるのだろうか。
  でも、その割には、Mrは絵麻の内面ではなく、外面を見ている様子だった。
  髪や瞳の色まで……確かめるように。
「あの……」
  露骨なまでの視線に、絵麻は思わず声を出していた。
「ああ。すまなかった」
  Mrは視線を、今度は絵麻のものとはっきり合わせた。
「絵麻。君の持っているパワーストーンを出してくれないか?」
「パワーストーン?」
  絵麻は翔を振り返った。
  自分が持っていた石といえば血星石だが、とられてしまったのでもう持って
いない。
  他に、石なんて……。
  そこまで考えて、絵麻ははっと目を見張った。
「これ?」
  ポケットの中。大事にしまってある、祖母の形見のペンダント。
  深い青をたたえた石のペンダントを、絵麻はそっとポケットの中から取り出
した。
「確か、さっきラピスラズリって……」
「見せてくれないか?」
  頼みの言葉のはずなのに、そこには有無を言わせない『何か』がこめられて
いる。
「はい」
  絵麻は指から鎖をはずすと、そっとペンダントをMrの執務机に置いた。
  Mrがそれを手にとり、さっき絵麻に向けたのと同じような視線で探る。
「翔。君の学者としての見解から、この石を何と判別する?」
「ラピスラズリ……です」
「根拠は?」
「外観と感触から判断しました。青色を示す鉱石にはサファイア、アクアマリ
ン、 セレスティン、それにアズライトがありますが、冒頭の2つはいずれも半
透明の鉱石です。
  残る2つのうちセレスティンは灰青色で、アズライトはラピスラズリより質
が劣ります。
  色合いの深さと触った感触での判断ですが、僕はラピスラズリだと思います。
最も、細かい分析はしていないので詳しいことは言うことができませんが」
  翔の言葉は、最初から台本を用意していたようだった。
  そういえば、『価値がある』といったことを言っていたように思う。
(まさか……取り上げられる?)
「そうか」
  Mrはひとしきり石を眺めると、また絵麻に視線を戻した。
「この石をどこで手に入れた?」
「お祖母ちゃんからもらいました」
  絵麻は今すぐペンダントを取り戻したいような焦燥にかられながら答えた。
「そのお祖母さんはどこに?」
「5カ月前に亡くなりました。それが1つだけの形見なんです! だから」
  絵麻の言葉の語尾が僅かにあがったのを察知したように、Mrはペンダント
を絵麻に返してくれた。
「安心しろ。取り上げようとは思わない。ほら」
「……」
  絵麻は無言で、戻って来たペンダントをぎゅっと握りしめる。
「絵麻ちゃん、でしたね。貴方は一体いつからここにいたんですか?」
  今度は銀髪の男性が絵麻に尋ねた。
「4日前……です」
「どうして、ここにいるんですか?」
「わたし……わたし、よくわからなくて。翔に助けてもらったんです」
「西部でしたね。武装集団に焼け出されたといったところですか?」
「わからない」
  絵麻は首を振った。
「わからないの……どうしてここにいるのか。どうやってここに来たのか」
  銀髪の男性はそんな絵麻を見下ろしていたのだが、これ以上追及しても無駄
だとわかったのだろう。質問の矛先を翔に向けた。
「翔くん。どうして報告してくれないんですか?  武装集団の戦災による難民
を保護するのは『PC』であって、『NONET』ではないんですよ?!」
「それは……」
「ユーリ」
  責めたてるような声を、Mrの穏やかな声が遮る。
「事情があったんだろう。かまわなくていい」
「けれど」
「どうしてもだ」
  銀髪の男性──ユーリはまだ不満気のようだったが、逆らおうとはしなかっ
た。
「絵麻。行くあてはあるのか?」
「……」
  絵麻はしばらく黙って、それから首を振った。
  第8寮に滞在する理由はもうなくなっている。
  だけど、どこか行く場所があるかと聞かれれば……答えはない。
  ここは絵麻にとって親戚も友人もいない、見知らぬ世界なのだから。
「それなら『NONET』にいるといい」
「え……」
「Mr?!」
  真意をはかりかねたように、翔とユーリが異口同音に叫ぶ。
  リリィも声こそなかったが、不思議そうな顔をしていた。
「どういうことですか?  誰もかかわらせない極秘企画に、どこの誰ともわか
らないような子を入れるなんて」
「かまわないさ。だいたい、『どこの誰か』を明確に言える人物が『NONE
T』にいるのか?  親兄弟、先祖代々まで真実で語れるような奴が」
「……いませんね」
「だったら問題はないだろう。既に7人の大所帯なんだ。今から1人増えたと
ころで何の支障もないわけだからな」
「Mr、いいんですか?  ユーリの言った通り、極秘の企画なのに」
  翔も真意をはかりかねているようだった。
「翔、お前が責任者になれ」
「責任者?」
「パワーストーン工学者のお前なら、ラピスラズリにどれほどの価値があるか
は一目瞭然だろう。本来なら取り上げて研究に回してしまいたいが、祖母の形
見だっていうんならそうもいくまい。いいか、本人ごと面倒をみろ」
「……」
  翔は無言だったのだが、重ねてMrが言う。
「これは総帥命令だ」
  有無を言わせない調子だった。
「……わかりました」
  その意図をくんだのか、翔が静かに頷く。
「Mrの指示に従います」
「話はこれで終わりだ。戻っていいぞ」
  Mrはそれだけ言うと、積んであった書類に目を通し始めた。
「はい」
  翔が振り返って2人を促す。
「行こう?」
  翔の手が扉を開き、再び廊下へと歩きだす。
  背後で扉の閉じる音がした。
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