「ん……」 絵麻はゆっくりと目を開けた。 体が軽い。さっきまでの死にそうな痛みが嘘のようだ。 試しに腕を動かすと、軽く目の高さまで上げられる。 「?」 目の前にかざした手には、祖母の形見のペンダントが握られていた。 そこに、淡い虹色の輝きがある。 どこまでも青い石だったはずのそれが、今はオパールのように透明に澄み、 中に美しい虹色を宿していた。 光はそこから発されていて、たゆたうように絵麻の全身を包みこんでいる。 「これは?」 ふっと視線を落とすと、ついさっきまで信じられないほど痛んでいた腹部の 傷口が光に包まれ、ふさがっていた。 (夢を見ているの?) その時だった。 「その髪、その目、その力!! アンタは!!」 憎悪のかたまりのような声が、絵麻の間近で響いた。 「?!」 弾かれたように絵麻は顔を上げる。 そこに、声と同じく憎悪を表情にあふれさせたパンドラがいた。 「なんでアンタが出てくるのよ!! アンタは100年前、確かに私が!!」 「ひゃく……ねんまえ?」 突然の言葉に、絵麻は訳がわからない。 「……まあいいわ。殺してあげる。今すぐ、ここで殺してあげる!!」 パンドラの体から凄まじい量の闇がほとばしり、それら全てが絵麻に向けて 放たれる。 「!!」 絵麻は目を閉じたが、痛みはおろか、何の衝撃も感じなかった。 おそるおそる目を開けると、そこには輝きを強めた虹色の光がある。 闇は光との接点で止まり、それ以上進めないようだった。 「守って……くれてるの?」 絵麻は不思議そうに、手の中の石をみつめた。 応えるように、淡い光が瞬く。 「クッ……」 パンドラの顔に苛立ちが広がった。 彼女は何度も何度も闇を絵麻に向けて放ったが、いずれも輝きを増した光に よって弾き返された。 「また邪魔するのね!! その力で、また私の邪魔をするのね!!」 苛立ちと憎悪が頂点に達したように、パンドラが悲鳴のような叫び声をあげ る。 「え?」 さっきもそうだったが、絵麻には全く訳がわからない。 「ねえ、何のことなの? わたしには」 「もう誰にも邪魔はさせない!!」 悲鳴のような絶叫で、パンドラがさらに強い闇をぶつけてくる。 「!!」 絵麻は目を閉じたが、光が闇を受け止めて拡散させ、身体に痛みはなかった。 2度、3度それが繰り返された後。 ザアッ………… パンドラの姿がノイズのように掠れた。 「え?」 「限界……か」 パンドラが苦々しげに表情を歪め、剥き出しの肩を抱えこんだ。 不気味な赫をたたえていた瞳が、水面のような青になっているのが絵麻の角 度からでもわかる。 それら全てがぼやけて、だんだんとおぼろになっていく。 「?」 「……てあげる」 残像に、パンドラの憎悪に満ちた声が響いた。 「殺してあげる!! 私は、必ずアンタを殺す!! 殺す!! 殺す!!」 そこにあるあからさまな殺意に、絵麻はゾッとなった。 結女に殺された時と同じ……『殺したい』という純粋な破壊欲だけがそこに あふれている。 「……」 憎しみの視線が絵麻にからみついて離れない。 絵麻はその視線に凍りづけにされたように、何も言うことができなかった。 「……なんなの? 何でわたしを……」 ようやく身体を動かせたのは、パンドラの姿が完全に消滅してからだった。 自らを安心させるように、絵麻は自分の手の中の石をみつめた。 光は次第に収縮し、僅かに石のまわりに残っただけとなっている。 その光もゆっくりと消え、同時に石は絵麻がいつも見慣れた、全ての青を凝 縮したような不透明な物へと戻っていた。 「あれ?」 絵麻は瞬いたが、その青が変わることはない。 「何だったんだろう?」 「絵麻?」 その時、不思議そうな声が頭上から降ってきた。 「?」 見上げた視界に、翔の長身がある。 「翔。大丈夫?」 「さっきまでかなりやばかったんだけど。それより、絵麻」 翔は言うと、いきなり絵麻の右手を取って開かせた。 「?!」 そこにはずっと握りしめていた、青い石のペンダントがある。 「絵麻、この石をどうしたの?!」 その石を認めた途端、翔の声が裏返った。 「お祖母ちゃんにもらったんだけど。これがどうかした?」 「これ、ラピスラズリだよ?!」 「ラピスラズリ?」 そういえば、TVの鑑定屋がそんな名称を口にしていたような気がする。 「何か意味があるの?」 「何かって……」 翔はいつの間にかペンダントをひったくり、いろいろな角度から眺めていた。 「青金石は、すべてに通じる石! いろんな石の成分が混ざりあっていて、ど んな鉱物にも分類できないんだ。一説には宇宙を示す火地風水の全てを持って いて、奇跡を呼ぶって言われてる」 「え?!」 絵麻は驚きで、自分の丸い目がさらに丸くなったのを感じた。 「なんか凄そうなんだけど?!」 「実際凄いんだよ。研究室に置いてあるところも少ないし、こんなに純結晶だ けでできてるのははじめて見た」 一通り眺め終えたらしく、翔は絵麻の手にペンダントを返してくれた。 「そんなに凄いの?」 「だって、『平和姫』が持っていたのがこの石だって伝承がある……?!」 言ってから気づいたらしく、翔はいきなり絵麻の肩をつかんだ。 「絵麻、まさかこの石の力を使った?!」 「え?!」 「さっきの虹色の光! あれ、絵麻がやったの?!」 がくがくと揺すられ、絵麻は視点が定まらない。 「わかんない。けど、さっきは石が虹色に光ってたよ!」 「絵麻がマスターの素質持ちなのはわかってたけど」 「考えるのいいんだけど……揺するのはちょっと」 「あ、ごめん」 翔がぱっと手を離すと、ようやく視界が安定した。 「ふう……」 思わずため息がでる。 「それにしても……攻撃を弾いて、不和姫を撤退させて、傷まで癒す力なんて。 これじゃまるで……」 翔はぶつぶつと呟いていたが、ふいに顔を上げた。 「そうだ。リリィは?」 あわてて倒れたままのリリィに駆け寄って、その肩を揺する。 「リリィ。リリィ!」 「・・?」 新緑色の双眸が、ゆっくりと開かれる。 「・・・、・・・・・?」 「大丈夫? どこか痛いところは?」 リリィは不思議そうな顔で首を振った。 闇に打ちすえられた背中にちらちらと視線を送っているが、そこには焦げ跡 ひとつ残っていない。 「・・・・・・・?」 「それは今から再調査。帰ろうと思うんだけど、ボール奪われちゃったんだよ ね」 「そうなの?」 「2人とも気絶してたんだっけ。どうしようかな……」 翔の心配は杞憂に終わった。 「翔? どこにいるんだ?」 「リリィ、絵麻! 聞こえたら返事して!」 20歳に近い男女の、人を探す声。 「あ」 「信也、リョウ! こっち!」 翔の呼び声に、2人はこの場所を見つけてくれたようだった。 ほどなくして別行動だった8人が合流する。 「翔、リリィ、絵麻! みんな大丈夫? ケガしてない?」 「うーん……ケガはしたんだけど、治ったみたい」 「え?」 「そっちは大丈夫だった?」 「うん。アンタの予想どうりで、こっちには集まってこなかった」 「町の方の被害も0ですんだしな」 翔の声に、唯美と、哉人と呼ばれた少年が答える。 「よかった」 「それより、あんた達大丈夫だったの?! なんかやつれた顔してるのに、目だ け爛々とさせちゃって」 「後で説明するよ」 翔は曖昧に答えると、唯美を促した。 「唯美、悪いけどすぐに戻って調べたいことがあるんだ。能力使える?」 「まかしといて」 唯美が頷き、胸ポケットからスティック状の宝石を取り出す。 ほどなくしてさっきと同じような閃光が周囲を包み……絵麻の視界はふたた び真っ白に染め抜かれた。