「リリィ? 入るよ」
リョウは2階の右翼端にある、リリィの部屋の前に来ていた。
リリィが使っている部屋は絵麻の部屋のちょうど向かいにある。
鍵はかかっておらず、ドアノブを回すとあっけなく中に入ることができた。
ラベンダー色のベッドカバーとカーテン。チェストや棚の上の、白いレース
の敷き物が彩りを添える。
リリィはベッドの上にぼんやりと座っていた。
「リリィ……」
「・・・、・・・?」
リョウに声をかけられ、リリィは顔を上げる。
「大丈夫よ。そんなに簡単に倒れないから」
「・・・・・・・・・・・・」
「え? 全然何もしてないじゃない? 話もしてないんだから」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「わかんないけど――リリィのせいじゃないってことは確か。だって何もして
ないじゃない」
「・・・」
リリィは悲しそうに肩を落とした。
「だけどじゃないよ。絶対にリリィのせいじゃないんだからさ。リリィが落ち
込むことは全然ないんだよ?」
リョウがそう言っても、リリィは首を振るだけだ。
「……心の傷は癒せない、か」
その時だった。
「リリィ、いるか? リョウも」
ドアを叩く音と一緒に、信也の声がした。
「信也?」
リョウが歩いて行って、半分ほどドアを開ける。
「どうしたの?」
「翔が話があるって」
「本人は?」
「自分の部屋に見せたいものがあるから来てくれ……だったかな」
「……部屋?」
リョウが露骨に顔をしかめる。
「入れるの?」
「さあ……」
同期なだけに、翔の散らかし癖がどのくらいのものなのかは2人とも身にし
みて知っている。特に信也なんかは部屋が隣だし。
「行くだけ行くか」
「だね。リリィ、行こう」
リリィを促すと、リョウは廊下を反対側に歩いて行った。
「入れるのかな」
「いつかみたいに、ドア開けただけで本が崩れてきたらやだな……」
リョウの横に並びながら、信也が小さくぼやく。
「そういえば、あたしも足元にあったシャーレ踏んで割ったことあるのよね」
「書類ぐしゃぐしゃにしたこともあったような……。悪いことばっかりだな」
「散らかしてるあっちも悪いから、不起訴ってことにしとこうか」
そんな事を言いながら笑い合う2人の後ろを、リリィは静かに歩いていた。
その3人の歩みが、1つのドアの前で止まる。
「翔? いるか?」
「いるよ。入って」
「本当に開けていいんだな?」
ドアノブに手をかけながら、信也は慎重である。
理由は簡単。何が飛び出してくるかわかんないから。
「うん。大丈夫だよ」
信也はおそるおそるドアを開けた。
が、予想したような本の洪水も、書類の散乱もそこにはなかった。
「?」
「あれ?」
女の子2人が部屋をのぞきこむと、そこには見違えるような翔の部屋があっ
た。
ちゃんと床が見えて、ちゃんと整頓されてて、普通に歩ける。
「……どうしたの?」
机の前の椅子に座っていた翔と、ドアの前にいた3人は、ほぼ同時に同じ言
葉を言った。
「なんで、みんなして廊下に固まってるの?」
「いや……考えてたのと違ってたから。何を考えてたんだっけ?」
「散らかってるのを想像してたんだけど……まいっか。入るよ」
言うと、リョウはさっさと部屋の中に入ってしまう。
「ねえ、何でこんなに片付いてんの? あたし、翔の部屋の床はじめてみた」
「あ、絵麻が片付けてくれて」
翔は椅子から立ち上がると、座るように促した。
「絵麻が?!」
「あの子、片付けもできるのか?」
「凄いよ。1時間くらいでここ片付けてくれて」
「あの部屋を片付けたっていうんなら本物よね……」
リョウが妙な納得の仕方をして、ベッドの足のほうに腰掛けた。
椅子は1つしかないので、座るというと床かベッドという結論になるのだ。
リリィが翔にすすめられて椅子に座り、信也は壁によりかかっている。
「絵麻って何者なんだろ。結婚してんのかな?」
「聞いたけど、未婚だって言ってたよ」
「料理と掃除に引き続いて片付けか……プロだな」
「そういえば、翔の用事って?」
「これのことなんだけど」
翔は机の上に置いてあった作りかけの機械の横から、手の中に収まるくらい
の機械の部品を取り出した。
「?」
「測定盤じゃない。なんでこれだけ?」
「昼間、絵麻のパワーストーンエネルギーを測ったんだ。機械はその時に壊れ
た」
「壊れた?」
「何か、凄い反応起こしたんだ……針が完全に振り切れてた。
で、その後、どかーんと」
翔は火傷の痕がひどい手をぎゅっと握り、それからぱっと開いてみせた。
「爆発?!」
「科学系キャラのお約束的行為だな……」
「僕じゃないって」
「で、どうなったの?」
「部品はバラバラ……でも、それだけは無事に残ってた」
翔はリョウの手にある測定盤を指した。
「これがどうしたの?」
「数値、見てくれるかな? 焦げてるけど」
3人が文字盤に注目する。
針が示すその先にははっきりと「−10」の文字が刻まれていた。
「−10?!」
「お前、何を計算してたんだよ?!」
「言ったよね? 絵麻のPSエネルギーを測定してたって」
「あ……それじゃ」
リョウは手の中で破片を軽く転がすと、翔に返した。
「絵麻が−10判定出したってこと?」
「うん……」
翔が曖昧に頷く。
その時、リョウの袖にリリィが手をかけた。
「何?……−10だとどうなるのかって?」
「僕らって、通常で3くらいでしょ? 同調すると倍になるけど」
「翔、測定のデータ持ってなかったっけ?」
「うん。全部照会して確認した」
翔はパソコンの上に置いてあった、分厚いファイルを示した。
「それで?」
「普通の……素質を持たない人はどうあっても±2の範疇内で、決して越える
ことはないんだ。3か−3を示すとマスターの素質ありって定義になってる」
「そういえば、言ってたね」
「素質があると『同調』して『能力』を持つ確立が高くなって、数字が高いほ
ど操る能力が大きくなる。これも説明したよね?」
「そうだっけ?」
「……忘れたんでしょ」
目を丸くした信也を一瞥してから、リョウは口を開いた。
「あたしは聞いたことあるよ。同調して7……じゃなかった? 信也も」
「リリィは?」
彼女は答える代わりに、指を使って数字を示した。
「8? そっか、強いもんね」
「僕が9で……力が強くなればなるほど同調した時の精神疲労は激しくなる」
「疲れるからな」
「パワーストーンは精神を動力源にする。強くなれる代償に、使い過ぎれば正
常な精神を保てなくなり、最悪はただ生きているだけの植物人間と化す」
翔はファイルの中から、数枚のプリントを引っ張り出した。
「だから普段は同調しないで押さえてるわけだけど……10なんかの能力を使い
続ければ、あっというまに精神疲労で廃人になる」
何枚かのプリントをめくり、翔はその中の1枚をさしだした。
そこには写真つきでその『廃人』になった症例が掲載されている。
「うわ……」
のぞきこんだ信也が、思わず眉をよせた。
「で、何の話だっけ? 俺達がこういう風にならないようにしましょうって警
告だったっけ?」
「違う……まあ、それもあるんだけどね」
「はっきりいいなさいよ」
リョウが指先でプリントを弾く。乾いた紙の音が場を引きしめた。
「……絵麻は無意識に−10判定を出し続けてる。本人には全く自覚がないみた
いなんだけど、このままだったら……」
「この通りの結果になるなら……死ぬってこと?」
リョウの手から、プリントが床に滑り落ちた。
「あ……それで全部話したのか」
信也が納得したように翔をみる。
「僕が彼女を巻き込んだ。血星石を彼女に渡したのも全部僕だ。
だから、助けないといけないんだけど……」
翔は測定盤の破片を取って握りしめた。
「方法がみつからない。数値計算したら、絶望的になっちゃった」
「……」
沈黙が場を満たす。
「いい子みたいだけどな。料理作ってくれたり、掃除しといてくれたり……」
「まだ15歳くらいなんでしょ? それで死んじゃったら可哀想よ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
リリィが何かを言ったが、それを理解できたのはリョウだけだった。
「そーだね。脅えたままじゃ可哀想よね」
「でも、本人には全く自覚症状がないみたいなんだ。強いて言えば味覚がおか
しいって自己申告してる程度なんだけど、夕ご飯の時は何も言ってなかったな」
「別の世界の子なら、単純に味覚文化が違ってて、慣れちゃったんじゃない?」
「僕もそっちがあってると思う。こうなると本当に自覚症状がないんだよね」
翔は床に落ちたプリントを拾うと、そこに印刷された文字に目を通した。
「『頭が重くなる、足に力が入らなくなる、指先の感覚がなくなるなど、パワ
ーストーン使用過多による廃人化現象にはこのような体の末端部分からの侵食
が初期に見られる』……か」
「別に不自由そうにはしてなかったよね?」
「深く考えなくていいんじゃないか? あの子が元気なら」
「まあ……そうなんだけど」
翔はプリントをファイルの上に積み重ねた。
「そうとして、絵麻をこれからどうするの? いまいち常識にかけてる子なの
に」
「パニックも治ってないもんな」
あれは相当ひどくやられてるな。信也はそう付け加えた。
「血星石が体に入り込んだせいで情緒不安定になってる部分もあると思うんだ
けど……原因が理論的に説明できるまで近くにいて欲しいと思う」
翔は考えてから、言い足した。
「できたら、ずっとここにいてくれないかな。ごはん美味しかったし」
「……お前なあ」
信也はあきれたような顔をするが。
「でも、ホントおいしかったよね。家事全部やってくれる人が一人いてくれれ
ば助かるのにな」
「……そうか?」
「だって、ごはん作らなくて済むのよ? 片付けも。当番忘れて怒られること
もないし」
「それはいいかも……」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「え? 道具扱いしてるって?」
リリィにひっぱられ、陶酔モードに入っていた2人は我に返った。
「そんなつもりじゃなかったんだけどな」
「道具扱い……」
翔はふっと、絵麻が最初に叫んだ言葉を思い出した。
『殺さないで!! 道具扱いしないで!!』
確かに、絵麻はそう叫んでいた。
「お姉さんに道具扱いされたあげくに殺された……ってところなんだろうな」
翔がぽつりと独白する。
「よっぽどの方法でやったんだろう。誰にも気づかれずに妹を道具扱いできたっ
てことは、そのお姉さんによっぽどの信頼があったんだろうな。表は静かなフ
リをして、絵麻の前でだけ豹変していたのかな……」
「静か……?」
その言葉を、リョウが聞きとがめた。
「もしかして、そのせいでリリィに反応してるの? リリィが静かだから」
「でも、リリィが静かなのって声が出せないからだけでしょ?」
幾度となく行動にでている部分は、翔も信也も知っている。
「・・・・・・・・・」
リリィの唇が僅かに動いたが、それを見た人はいなかった。
「とにかく血星石。そこから考えようぜ」
少し重くなった空気を振りはらうように、信也が大きく伸びをする。
「Mr.PEACEに報告書も出さなきゃなんないし……何て書こう?」
「そういえば、2枚セットで出すんじゃかった? シエル達のぶんと」
「それじゃ、あのトリオが戻ってくるまでは猶予があるのか」
「帰って来ないね……あの子たち」
リョウが視線を、窓の外の夜の闇に向ける。
「シエルと哉人がケンカしてなきゃいいんだけど」
「唯美じゃあおるばっかりだもんね……配置失敗したかな?」
「今更言ってもしょうがないよ」
翔は悟ったように言うと、パソコンの電源を入れた。
「? 何するの?」
「もう一度データベースをあたってみるよ。報告書を書くのに、まさか絵麻を
つけて出す訳にいかないから。血星石をちゃんと取り出せれば絵麻も死なずに
済むし」
翔はそれだけいうと、忙しくキーボードを叩きはじめた。