次の瞬間、ありえない事が起こった。 何が起こっているのかわからなかった。また幻を見ているんだと思った。 ユキは壁紙を剥ぐように、翔の皮膚を剥ぎとったのだ。 「……っ」 誰かが悲鳴を飲み込んだ音がする。 ユキの両手がぶらさげていたのは、透明な保護膜のようなものだった。 血は一滴も流れていなかったし、予想したような悲鳴もしなかった。 けれど、信じられない光景があった。 「ねえ、何これ……」 翔は全員の糾弾の視線から逃れるように、顔を背けてきつく目を閉じて いる。 その翔の体にあったのは、無数の縫合跡だった。 強引につぎはいだのは明らかだった。皮膚の色は部分で微妙に違い、火 傷跡がそのまま残った部分もある。 「コイツ、本当なら死ぬはずだったのよ」 ユキが忌々しげに言う。 「たまたま金持ちの息子だったから、死んだ人たちの体の中から使える部 分を取ってきて、手術を受けたの。そうして1人だけ生き残ったのよ! 全ての原因の、悪魔みたいなコイツだけが!!」 言ったユキの頬に涙がこぼれる。 「兄さんは爆発に巻き込まれたけど、死んではいなかった! たまたまお 弁当を届けに行ったアタシを出迎えてくれたから、いちばん離れた場所に いた! だけど、そのせいで兄さんはこの悪魔に体を奪われた!!」 「それは、どういう……」 よぎった想像に、絵麻は背筋が凍るのを感じた。 あふれる涙をぬぐおうともせずにユキは続ける。 「兄さんの健康な臓器を、科学者たちはコイツを蘇生させる道具にした! そのせいで兄さんは……兄さんは死んだ! 何も悪くなかった、アタシをかばってくれた優しい兄さんが死んで、悪 魔のコイツが生き残った!!」 「……」 再び降りた沈黙の中で、ただ1人、ユキだけが絶叫する。 「アタシはコイツを許さない! 絶対に許さない! 誰が何て言ってもコ イツが悪いんだ! アタシの幸せを奪ったのはコイツなんだ!!」 その叫びを聞きながら、絵麻は翔に手を伸ばした。 「翔」 「……」 差し出された手を、翔は呆然と見つめている。 「起きよう? 汚れちゃうから。着替え、今持ってくるから」 大丈夫だから。だから、戻ってきて……。 翔は絵麻の手を一瞬いいようのない目で見つめると、次の瞬間振り払っ た。 「同情ならいらないよ、お嬢さん」 「違う! 何で……」 「ユキ、行こう。君の部屋に泊めて」 「当然、アタシに尽くしてくれるのよね?」 ユキは言うと、翔の上から降りた。 「勿論」 「アンタは一生アタシに償うのよ。それがアンタに唯一できる償いなんだ から」 翔は無言で体を起こすとはだけた衣服を胸の前でかき合わせ、ユキの左 腕を取った。 「待てよ。何で出て行くんだよ?!」 かけられた声に、翔は冷たい声で言った。 凍った表情は、よく出来た作り物のよう。実際、彼は作り物なのだが。 「お前らだって、犯罪者となんかいたくないだろ?」 それだけ言って、翔は出て行った。