夢のほとり

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夢のほとり

 信也とケンカした。
「何で言ってくれなかったのよ!」
「全部言わなきゃなんないのかよ! 言いたくないことだってある!」
 口論からはじまり、辛辣な言葉を投げ合い、最終的に信也が出て行くことで決裂した。場所がリョウの部屋だったので、誰にも聞かれなかったであろうことが救いか。
 むしゃくしゃした気持ちのままベッドに寝転ぶ。大好きなのに、たったひとりの幼馴染なのに、彼をちゃんと知りたいという気持ちは間違っているのだろうか。まだケンカしてお互いの気持ちをぶつけ合えるようになっただけいいとは思いつつ、できるだけケンカなんてしたくない。
 ちゃんと知りたいのに。信也のことわかってあげたいのだけなのに、どうして怒るの?
 今このまま続けても傷つけあうだけだから、一度リセットして明日になったらちゃんと話そう。いつまでも引きずるなんて嫌だし、みんなに心配もさせたくない。
 そう切り替えて、リョウは眠っておくことにした。

 浅い眠りの中で見たのは、今はもうない故郷の、信也の家だった。この家のことはよく知っている。軋む場所が一ヶ所だけある階段も、自分たちがやった壁の落書きの場所も。あの時は、三人で亜衣おばさんにいっぱい叱られたっけ。
 なつかしい気持ちでいっぱいになって、リョウはその家を歩き回った。自分の家よりたくさん椅子が並んだダイニングも、思い出の中のままだ。今はこの場所がもうないだなんて、信じたくない。
 信也も、きっと同じ思い出を持ってる。自分と同じくらいに鮮やかに、そして、自分と同じように苦く思い出すのだろう。その痛みを少しでもわかりたい。支えたいから知っておきたい。
 それなのに、何で信也は怒ったんだろう。
 自然と足が向いて、リョウは双子が使っていた部屋の方に歩いて行った。二段ベッドと、机がふたつ並んだ小さな部屋だ。ドアは二人が兄弟喧嘩をした時にかしいで、開閉するとぎいっと音がする。リョウがそのドアを開けたときも、覚えているままの音がした。
 並んだ机の片方に、頬杖をついてシャツ姿の男性が座っていた。まっすぐの短髪と、座っていてもわかる長身。彼を思って眠ったから、夢に出てきたのだろうか。
 ……違う。
「正也?」
 呼ぶと、男性はにいっと子供のような笑顔をみせた。
「よお。久しぶり」
 言って、ひらひらと手を振る。
「やっぱり、正也なのね?」
 造作は同じでも、動作が決定的に違う。今目の前にいるのは、正也だ。
 リョウはもう一方の机のところまで行くと、椅子をひいた。彼の側に座る。
「なんでわかるかなー。顔は同じはずなんだがな」
「わかるわよ」
 微かに吐息がもれる。
「あんたたちのことなら、あたしはいちばんわかってる」
「そうかあ?」
 軽い調子に、リョウはむっとなった。
「……あんた、もしかしてあたしたちがケンカしたのわかって出てきた?」
 正也が口の端で笑う。
「思い上がりをへし折ってやろうと思ってな」
 何よと問い返したリョウに、彼は体を向き直らせた。
「リョウは信也の全部を、絶対にわかれない」
 だからしったかぶるのは止めろと、正也はそう続けた。
「何でそんなこと言うのよ!」
 リョウは気色ばんだ。こんなことを言われて、怒らない方がおかしいに決まってる。
「ひどい。ずっと一緒なんだから、全部知ってて当たり前じゃない! 信也をいちばんわかってるのはあたしよ?!」
「だーかーらー、それが間違ってるって言ってんの」
 正也は心底呆れたように顔を歪めた。
「どこが?!」
「後半は合ってるが、前半がてんで見当違い。それを全部合ってると思いこんでるから、噛み合わなくなって信也がキレてんだよ」
 出来の悪い生徒に講釈する教師のような顔で、正也が腕を組む。
「……何よそれ」
「言ったろ。リョウは信也の全部を、絶対にわかれない」
「何でそんな風に言うの?」
 悲しく言って俯いたリョウの額を、正也が指先で弾いて上向かせる。そのあとで、彼はその手を自身の胸に当てた。
「俺にしかわからない部分があるから」
 もう問い返す言葉がないリョウに、正也は笑いかけた。
「どのくらいだろう。一割はあるのかも知れない。ゼロの下にゼロが果てしなく続くのかもしれない。それでも確実に、俺にしかわかれない信也の部分があるから。双子としてのつながりがあるから」
 だから、リョウは信也の全部を知ることはできないんだよ。
 そう言ってざまあみろと続けた幼馴染に、リョウは脱力した。
「あんた、その性格変わんないのね」
「何とでも言え」
 もう一度、正也が笑う。
「誰が何と言おうと、信也は俺のものだよ。当然、俺も信也のものだ。一部分はな」
「わかんないよ……」
 リョウは首を振った。
「だろうな。俺もどう言えば伝わるかわからんもん」
 それは多分、双生児のふしぎな部分なのだろう。ひとり生まれたリョウにはわからない。わかれない。
「信也もそれを言いたくて、リョウにどういえばいいかわかんなかっただけだと思うぞ」
 あいつ、口数も語彙も少ないし。正也がそう言い添える。
「だから、あんまへこむなよな」
 その言葉には、正也の外見に合わない子供じみたところはなく、いたわりに満ちていた。
「……ありがと」
 ようやく笑えたリョウを見て、正也は肩をすくめた。
「あーあ。俺もだいたいいい人だよな。自分から大事な人盗った奴をこんなに心配してやるなんてさ」
「え、それって信也のこと? あたしじゃなくて?」
「自意識過剰すぎー」
 自意識過剰、の部分を正也はわざと区切って発音した。
「お前はバカか。どっちのことも大事に決まってんだろ」
「あたしもだよ。……きっと、信也も」
 知ってるよと、正也が笑う。お前らの気持ちは、ちゃんと伝わっているからと。
 そこで、夢がぼやけた。

 ドアをノックする音で、リョウは目を覚ました。
 いつの間にか朝になっていた。少しぼんやりしたのだが、それでも音は止まない。
「誰?」
 ドアを開けると、信也が立っていた。一瞬寝ぼけて正也かと思ったのだが、違う。
「何? 朝からどうしたの?」
「いや……昨夜のこと謝っとこうと思って」
 信也は言うと、困っているときの癖でがりがりと後頭部をかき回した。
「なんていうかさ。その……リョウに全部は言えねえんだ。なんていうんだろう。全部伝えたいけど、全部は無理。俺は俺だけじゃないから」
『誰が何と言おうと、信也は俺のものだよ。当然、俺も信也のものだ。一部分はな』
『信也もそれを言いたくて、リョウにどういえばいいかわかんなかっただけだと思うぞ』
 夢で聞いた言葉を思い出す。声は、ふたり全く同じだ。
 だから、信也の曖昧な言葉を今は信じられた。
 自分にだけわかる部分があると言った正也は、信也の代わりに、リョウに言いにきてくれたのかもしれない。正也は、きっと、心配してくれたのだ。
「うん。知ってる」
 あたしもごめんねと言って、リョウはそっと信也に寄りかかった。

※ブログ掲載時「信也&リョウ+正也」となっていたんですが、信也と正也の位置が逆だと……。

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