好きの大きさ

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好きの大きさ

「アテネはお兄ちゃん大好きなんだから!」
「オレだってシエル兄ちゃん大好きだ!」
 火花を散らさんばかりのアテネとディーンに両脇を固められたシエルは困り顔だ。シエルに両腕があったなら、間違いなく引っ張り合いになっただろう。
 アテネがシエルを重症なまでに大好きなのは周知の事実なのだが、実は重度のシエル好きがこの世にもう一人存在する。孤児院のディーンだ。
 シエルは孤児院で育ったから、親のいない子供が抱える寂しさを身をもって知っていた。だから、第八寮の近所に孤児院があると知ると、ちょくちょく顔を出して、子供達の相手をした。どこで培われたのか不明な陽性の属性は『片腕のお兄ちゃん』として子供達に親しまれるのに充分だった。
 その中でも特にシエルになついたのがディーンだった。どちらも単純であっけらかんとしているから、波長が合ったのかもしれない。ディーンは北部系の子供なので、外見的にも似通っている。まるで兄弟みたいねとシスターに言われ、ディーンは嬉しがってシエルにくっついた。シエルに拒む理由はなく、彼は年の離れた弟のようにしてディーンを可愛がった。それだけの愛情をかけられて、ディーンがシエルを好きにならないはずがない。
 それならディーンはシエルの妹のアテネともさぞかし仲が良い……と思いきや、ディーンにとってのアテネは親の敵にも等しい存在なのだ。後から出てきたくせに、シエルの実の妹だというのだ。一緒に仲良く過ごした記憶なら負けないとディーンは言い張る。が、アテネはディーンがいくら望んでも得られない、血の絆を持っている。それはディーンが欲しくて仕方ないのに、どれだけの代償を支払ったとしても決して得ることはできないものだった。シエルがアテネを――自分以外の子を可愛がるのが、ディーンは悔しくて仕方なかった。二人にそんなつもりは全くなかったのに、ディーンからすれば大事なものを取り上げられ、見せびらかされているかのようだったのだ。
 アテネから見ても、唯一無二の存在である兄を取られるということは文字通り世界が終わることと同一だ。アテネにとってシエルはたった一人の兄で、身内で保護者で、とにかく比べようもなく大事で大好きな人だ。身を切られる思いで手を離し、当時九歳の幼子が乗り越えるには辛すぎる経験を経てやっとのことで一緒に暮らせるようになったのに、兄は自分以外の他人を弟として可愛がっています、ではバットエンドにもほどがある。
 気づいた時には、アテネとディーンは仇敵のような間柄になってしまっていた。原因のシエルに落ち度があったとも言いにくい状況だった。シエルがディーンを可愛がったのは責められることではないし、ようやくで再会がかなったアテネを大切にするのも当然だ。シエルがアテネにかまけてディーンをないがしろにでもしたのなら文句なくシエルが悪いのだが、ディーンとの関係は第三者の目で見ても変わっていなかったのだ。二人に対する可愛がり方の度合いが元々違うだけ。生憎とそれを許せるほどディーンは大人ではなかった。
 アテネはシエルを離さないし、ディーンも離れない。二人が顔を合わせると火花が散る。シエルがいくら「二人とも大切だ」と言い聞かせても焼け石に水だった。そのうちケンカになるんじゃないかと絵麻ははらはらしている。とっくみあいのひとつでもすればおさまるだろうという楽観論を信也が掲げているせいで放任されているのだが、これは隼姉弟に引き続く刃物沙汰になってもおかしくないと思うのは果たして悲観論なのだろうか。
「とにかく、オレは兄ちゃんの弟! シエル兄ちゃんはオレの兄ちゃん!」
 身を乗り出し、舌を突き出したディーンにアテネが応戦する。
「違うのー! お兄ちゃんはアテネが大好きなんだよ! アテネだってお兄ちゃん大好きだもん!」
 ムキになった声がだんだん高くなる。
「アテネは、アテネはお兄ちゃんになら何されてもいいくらい大好きなんだからね!」
 その場の空気が一瞬で凍りついた。
 多分、アテネに他意はないと思う。いや、もしかしたら本気かもしれない。どちらの仮説も成立する条件がアテネの言動にはふんだんに揃っている。深い意味はないようで実はそうなのかもしれない。どちらもありえるのが洒落になってない。
 凍てついた空気の中で、シエルがのっそりと口を挟んだ。
「アテネ。兄ちゃん幼女はちょっと」
「は?」
 間の抜けた声は誰のものだったか。
 相変わらず不穏な空気の中で、シエルはしみじみと続けた。
「もう五歳くらい上だったら何とかなるんだけど」
 アテネの頬がみるみる紅潮した。お兄ちゃんのバカ、と叫ぶとアテネはシエルの横っ面を張った。小気味いいくらいの音で場の空気が再び流れ出す。
「もう知らないんだからっ!」
 語尾に泣き声が続いて、アテネはリビングから走り出した。事の成り行きを見ていたリョウとリリィが慌てて追いかける。
「シエル、てめぇ(アンタ)何言って」
 信也と唯美が異口同音に言う。シエルは困ったように肩をすくめた。
「じゃ、あそこで抱きしめて『オレも愛してるよハニー』とでも言えばよかったのかよ」
「余計悪いに決まってるだろ!」
 哉人にはたかれ、じゃあなんて言えばよかったんだとシエルが仏頂面になる。意味がわからなかったらしいディーンと封隼はぽかんとしていた。
「シエルも罪作りだよね」
 翔の端的な感想に、絵麻は脱力して頷いた。


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