前だけを見つめていて

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前だけを見つめていて

「『反省はしてもいいけど後悔はしない』っていうよね。でも、生きてるとやっぱり後悔しちゃうできごとはあるよ」
 そう言っていたのは誰だっただろう。
 封隼には後悔していることがたくさんある。両親を守れなかったこと、姉の手を離してしまったこと、物を壊したこと、盗んだこと、そしてたくさんの人を殺めたこと。その時がいつ訪れるかはいまのところ不明なのだが、地獄に行くのは確定している。否を唱える気もない。
 最悪なのは、これだけのことをやっておきながら、いちばん後悔している内容がこの中に入っていないことだろう。
 封隼がいちばん後悔しているのはほかでもなく――あの時、唯美が振り上げた刃を避けなかったことだ。
 唯美は本気で殺すつもりで刺したわけだから、普通なら即死していただろう。いろいろな因果が絡み合って、結果として封隼は地獄の門を叩かず今に至っている。もちろん無傷ではすまず、肺の機能は常人より落ちてしまったが。
 肺の機能が落ちたことについて、封隼は何とも思っていない。煙草は嫌いだし、そもそも長生きするつもりがないので体のどこに爆弾があってもどうでもよかった。いずれは激しい運動に制限がかかる。そうなれば仕事ができなくなるが、そうなったらそこで人生終了となるわけで、それも構わない。
 それでは一体どこに後悔があるのかというと、封隼本人ではない。刺した唯美を苦しめているのが、封隼にとっていちばんの後悔だ。
 唯美が封隼を刺したのは、悲惨な現実に押し潰されて自分のことしか見えなくなっていたことが原因で、あの時は誰も唯美を救ってやることができなかった。唯美は深すぎる憎しみの中で溺れてしまっていた。やっとそこから出て冷静に見られるようになった時、唯美は今度は自分が犯した、探し求めていた弟を自分の手で殺しかけたという重すぎる現実に押し潰されることになった。封隼は気を失っていたので見ていないが、あの気丈な姉が何度も泣き叫んでいたのだそうだ。
 今では立ち直ったように見えるが、唯美がいまだに苦しんでいることを封隼は知っている。唯美が何か悪いことをしたわけではないのに、彼女は自分を責め続けている。あの時手を離さなければ、弟が武装集団に連れて行かれたのだとわかっていれば、封隼の抱えていた事情をきちんと認めていれば、憎しみで自分を見失わなければ。そうすれば、封隼はこんなふうにはならなかっただろう。体も、心も普通の人とはかけ離れた状態にしてしまったのは、姉である自分がちゃんと守ってあげなかったからだ。そう思って唯美は後悔に苦しんでいる。
 彼女をここまで追い詰めたのは武装集団で、封隼は被害者の扱いになるのだろうが、それでも自分にも原因はあるだろう。なぜ素直に自分が貴方の弟だと、姉さんをずっと探していたと言わなかったのだろう。いちばん最初に言っていれば、こうはならなかったかもしれない。あの時自分が刃を避けていれば、大切な姉をここまで苦しめずにすんだ。
「……今更、遅すぎるけど」
 封隼は淡々とそう告げる。普通の人なら苦く笑うか、悲痛に顔を歪めるところなのだろうが、封隼は無表情だった。
 それでもリリィには、封隼が死ぬほど後悔していることがわかった。
 封隼は優しすぎるくらいの人だから、自分を責めている。最初に言わなかったのはとても言える状況になかったことが原因で、その原因を作ったのは武装集団であり唯美であり、やわらげようとしなかった仲間達だ。封隼だけの努力では、あの状況は変えられなかっただろう。
 封隼が唯美の刃を避けなかったのも、振りかざされる刃をそのまま受け入れてしまおうと思うまで追い詰めたのも武装集団であり、同時に自分たちのせいでもある。封隼の事情を全部知っておきながら唯美を選んだのだから、いらないと言われた封隼の悲しみは想像にあまりある。そんなことをされたら、彼が自殺めいた行為に出てもおかしくないだろう。生きていてくれて本当によかった。
 封隼が完全に悪くなかったとは言わない。しかし、この件に関しては武装集団にも、唯美にも、そして自分たちにも一因が確実にある。だから、自分のせいだと後悔しないで欲しい。
 もう済んだことだから――こんなふうに言うのは不謹慎かもしれない。
 けれど、終わったのだ。悲しいのはもう終わり。今、唯美は封隼を心から大切にしている。封隼も、唯美のことを慕っている。素直でないところがふたりよく似ているから、端からみているともどかしく可笑しいけれど。
 今はもう、前だけを見つめていて欲しい。悲しみはもう終わったのだから。

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