笑顔を見せて

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笑顔を見せて

 リリィには笑っていてほしい人がたくさんいる。
 彼らを笑顔にするためなら、できることは何でもすると思えるくらいに大切な人たちがいる。リリィの過去を知っても態度を変えずにいてくれる、かけがえのない人たちだ。
 絵麻に笑ってもらうのはさほど苦労しない。彼女はいつでも嬉しそうだから。中に抱えているものはとんでもなく暗くて重いはずなのに、それでも絵麻は誰かの側にいると、楽しそうに笑っている。きっとリリィと同じで、人の側にいられるのが幸せなのだろう。
 翔は普段笑っていないが、笑わせるのは絵麻より簡単だと思っている。絵麻に頼んで何かしてもらえばあっという間に笑顔になるから。いい方は悪いが、赤子の手を捻るより簡単だ。
 それでは、絵麻と同じように重いものを抱えていて、翔のように普段笑わない人の場合はどうなのか。
 各々ならわりと答えは簡単なのに、合わさると途端に難しくなる。封隼のことなのだが――彼もまた絵麻と同じように重い事情を痩せた体の中に抱えこんでいる。そして、普段は笑わない。というよりは表情を変えない。淡々としている。彼を笑わせるのは、リリィにとっては至難の業だ。封隼はとにかく表情を変えない。目の前で自分の存在全てを愛する姉から否定され、後に自暴自棄としか言えない行動に出るほど傷ついた時すら、見ている分には無表情だったのだ。
 感情が表に出ない。だからひどく強くみえるが、傷ついていないはずがない。ある程度までは耐えられるが、突然、限界を越えて壊れてしまう。頼むから壊れる前に言ってくれというのが信也とリョウの共通した意見で、リリィもそう思う。
 もっと感情を表に出して、笑ってほしい。もう我慢しなくていいのだから。
 封隼を笑わせたくて、どうすれば彼が笑ってくれるか考えてみた。
 脇腹辺りをくすぐればもっとも効果的だと思うが、強引に笑わせても意味がないし封隼がそう簡単に脇腹を触らせてくれるとは思えない。
 食事をしている時なら、封隼はいつもより和んでいる印象があるが、残念ながらリリィには絵麻を越える料理の腕がない。
 怪我の手当てをしたら笑ってくれるだろうか。けれど手当てならリョウの方が確実で的確で、そもそもリリィは封隼に怪我なんてしてほしくない。
 アテネのように無邪気に後ろから抱きついてみればいいのだろうか。でも、リリィには、あの純粋さはとても真似できない。汚れきっているから。
 唯美が側にいる時、封隼はいちばん幸せそうだ。それは唯美が、封隼が探し求めた実の姉だからだろう。リリィがどう頑張っても、血のつながった姉にはなれない。
 考えているうちに煮詰まってしまった。リリィは僅かに吐息をもらすと、小さなハサミで毛糸を切った。封隼にあげたマフラーがほつれてしまったので、直させてほしいと預かったのだ。
 笑顔を見せてほしい。だけど、リリィでは封隼を笑顔にしてあげられない。
 そう考えてしばらくぼんやりしていたら、封隼が帰ってきた。リリィが直ったマフラーを渡すと、封隼はすぐに首に巻きつけた。
 傷の残る頬が、嬉しそうに緩む。
「ありがとう。あったかい」
 リリィが見間違えたのではなければ、その時、封隼は笑っていた。

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