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 目を開けた時、そこは昨日の屋敷の最上階だった。
 天蓋つきの大きなベッドが置かれ、妙な気分になる香りが辺りに漂ってい
た。天蓋から薄い布が下ろされ、その中では人影が2人絡みあっていた。声
を殺したすすり泣きが聞こえる。
 悲しそうな、苦しそうな声だった。
「……!」
 中で繰り広げられているであろう光景に嫌悪を覚え、絵麻はぎゅっと目を
閉じる。
 一歩後ずさったとき、絵麻の足に何かが引っかかった。
 何枚かの衣服と、リボン。それにブーツだった。
 その全てに絵麻は見覚えがあった。
 リリィが着ていた服。髪に結ばれていた、古く色褪せたリボン。
 絵麻は一度、リリィに何でこのリボンなのかを聞いた事がある。なぜもっ
と新しい、髪に映える色にしないのかと。
 リリィはその時「このリボンはとても大切な物だから」と笑っていた。
 聞くと、まだ母親が生きていた頃に結んでもらった形見の品なのだとい
う。新しいリボンが嬉しかったその事は覚えているのだと。
 じゃあ、あの中にいるのはリリィ?
 悲しんで、泣いているのはリリィ?
「リリィ……」
 絵麻は小さく呼ぶと、天蓋から垂らされた薄布を引きちぎった。
 中にいたのはマーチスとリリィだった。リリィは着衣が乱れ、露出した白
い肌のいたるところに暴力を振るわれたとおぼしき跡があった。
「リリィ!」
 絵麻の姿に、リリィは驚いたように新緑色の目をみはった。
「絵麻……!」
「リリィ、帰ろう! 嫌なんでしょう? こんなこと、嫌なんでしょう?!」
「……」
「ねえ、帰ろ……」
 言葉を続けようとした絵麻の襟首を、マーチスがつかんだ。
「昨日のネズミがまだいたのか」
「リリィに酷い事しないで!」
「裏切られてもまだ信じているのか? こいつは売春婦だぞ?」
「わたし、リリィから聞いてない! リリィの口から聞いてない!」
「今時珍しい娘だな」
 マーチスは下卑た笑いに唇を歪めると、枕元にあった呼び鈴を鳴らした。
 ほどなく軍服の男たちが3人ほど入ってきて、膝をつく。
「お館様、お呼びですか?」
「こいつをお前らにやる。可愛がってやれ」
 言って、絵麻の体を乱暴に放り投げる。
 どさっと音を立てて床に落ちた絵麻の体に、わらわらと男たちが群がっ
た。
「え……」
 1人が手を、1人が足をそれぞれ押さえつける。
「中央人じゃん」
「結構可愛いし。肉付きもいいし。上物だぜ」
 涎をしたたらせんばかりに言った男が、絵麻に覆いかぶさるようにして抱
きついてくる。
 そのあまりの気持ち悪さに背筋ががたがたと震えた。
「やめて……」
 男は絵麻の制服の襟に手をかけると、そのまま引きちぎった。
 逃れようとするが、手足を押さえつけられているので首しか動かない。
「やだっ! 嫌あっ!!」
 胸元に走るおぞましい感触に、絵麻は悲鳴をあげた。
「声かわいー。こういう無駄な抵抗がたまんないんだよな」
 男たちの下卑た笑いが響く。
「助けて……翔! 翔、助けて!!」
 その時、絵麻に群がっていた男たちが動きを止めた。
 絵麻は無我夢中でもがいて男たちの腕を抜けると、体を引き起こしてはだ
けた胸元をかき合わせる。
 重なるようにばたばたと崩れ落ちた男たちの背には、氷でできた刃が突き
刺さっていた。
「リリィ!」
 彼女の手にも氷の刃が握られていた。彼女はそれを振りかぶると、自分を
組み敷くマーチスを刺そうとした。
 が、マーチスは慌てず動じず、リリィに囁いた。
「リリィ、約束が違うだろう? 仲間を見逃す代わりに、お前は俺のものに
なると」
「違うのはそっちよ! アンタは絵麻のこと……」
「リリィ?!」
 仲間を見逃す代わりに……確かにそう言った。
 リリィは、自分たちのために?
 考えれば、リリィは圧倒的に有利だったのに、誰も傷つけていない。
「今の反逆はなかったことにしてやる。目の前でこの娘が汚されるのを見た
いのか?」
「……」
 リリィは刃を消した。
 マーチスは満足そうに笑うと、リリィの背を撫ぜた。
「そうだよな。お前は人身売買で売られて、遊女に堕ちながら誰より高貴で
純粋だった……男を喜ばせるはしたない声を出したくないと言って自分で声
を失った時には誰もが驚いたがな。そういう部分が野郎どもをひきつけたの
に」
「言わないで……絵麻に聞かせないで!」
 再びマーチスが行為に没頭し始める。
 耐えられなくなり、絵麻は目をそらした。
 その視界に、軍服の男の背に刺さったままの氷の刃が映る。
「……」
 絵麻は静かにその刃を抜き取った。
 薄く、少しでも気を抜けば滑ってしまいそうな氷の刃。
 それを持って、絵麻は静かにマーチスに忍び寄った。
 絵麻の姿を認めたリリィが、大きく目を見開く。
 絵麻はその目に頷くと、渾身の力で刃をマーチスの背に振り下ろした。
 鈍い音がして、手に嫌な感触が伝わってくる。
「ぎゃあっ!」
 マーチスが悲鳴をあげ、自分を刺した相手を振り返る。
「リリィを……リリィをこれ以上傷つけないで!!」
 包丁で肉を調理するのとは全然違う。ずっとずっと重い、嫌な感触。
 マーチスは手負いの獣のように暴れ狂ったが、絵麻は手を離さなかっ
た。
 彼の下にいたリリィに、汚れた血しぶきがかかり……ほどなく、マーチス
は絶命した。
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