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 絵麻とシエル、そしてアテネはスラム街を走っていた。
「どこだよ、その教会があるスラムって」
「あっち! ずーっとあっち!」
「真っ直ぐに走ればいいんだね?!」
「そう!」
 絵麻の問いかけに、ずっと翡翠と同調したままのアテネが頷く。
 哉人がいるということで、絵麻も強引について行く事にしたのである。哉人
との付き合いが浅いアテネをフォローするのに、シエルだけでは少し不安な部
分があった。
 3人が走っていたのはスラム街の、比較的きれいな一角だった。
 それでも道の角にはゴミが積まれ、軒下では浮浪者が寝転び、不快な臭いが
漂っている。
 走っているうちに、3人はアテネが能力で見つけたポプラの木のある教会に
辿り着いた。
 エヴァーピースの教会も古びた公民館のような作りなのだが、ここの教会は
さらに粗末だ。嵐が来たら吹き飛んでしまうのではないだろうか。
 特徴的なのは教会の建物をぐるりと囲む墓標の数々。夜に見たら絵麻はオバ
ケ屋敷だと思ったかもしれない。
 そんな墓標の間を、1人の男性が箒を片手に掃除していた。
 髪はシエルたちと同じくプラチナ。古びた黒の長い上着を着ているが、意外
と年は若く見えた。
「すみませーん」
 シエルが声をかけると、男性は顔をあげた。瞳も、シエルたちと同じ色。北
部からの流民なのだろうか。
「何でしょう?」
「この辺りを頭にグリーンのバンダナ巻いた、17歳くらいの奴が通りません
でしたか?」
「グリーンのバンダナ……ですか?」
「鳶色の髪で、綺麗なブルーの目で、哉人くんっていうんですけど」
「こらっ、そこまで言ったってわかんないだろ?」
 シエルは軽く妹を叱ったのだが、不思議そうな顔をしていた男性はアテネの
言葉にみるみる顔色を変えた。
「哉人?! もしかして、ちー坊を知ってるんですか?」
「ちー坊?!」
 今度は絵麻たちが驚く番だった。
 男性はきょろきょろと辺りを見回すと、声を落として言った。
「よかったら中に入っていきませんか?」

 通された教会の中はぼろぼろで、今にも天井が落ちてきそうだった。
 祭壇はなく、見た感じは一般の民家の居間と変わりがない。粗末なテーブル
が置かれ、向こう側にベッドが見えていた。
「教会と言っても形だけでね。祭壇とかもないんですよ」
「あの、貴方は?」
「クリス=ヴィンセントといいます。一応ここの教会の牧師です」
「その牧師さんが、どうして哉人のことを?」
「これを見てください」
 クリスと名乗った男性は部屋の片隅に行くと、飾られていた写真立てを持っ
て戻って来た。
 そこに写っていたのは鳶色の長髪を1つに束ねてバンダナを巻き、タンクトッ
プを着た人物だった。
「哉人?!」
「哉人くん?!」
 シエルとアテネが異口同音に言ったのだが、絵麻は首を振った。
「違う」
「え」
「どうしてだよ、絵麻」
「何ていうか、雰囲気が……それにこの写真の人、哉人と目の色が違うよ」
 絵麻は写真の人物の、よく見なければわからない目の部分をさした。
「……鳶色?」
 哉人の瞳の色は、角度で色を変える不思議な蒼だ。
「ホントだ。それによく見たら、この人女の人だよ。そっくりで気がつかなかっ
たけど」
 改めて見てみると、確かに写真の人物の胸には薄い隆起があった。
「この人は……?」
「琴南彩。ちー坊の母親です」
 クリスは写真立ての裏から、もう1枚写真を引っ張り出した。そこにはクリ
スと一緒に自分とよく似た子供――哉人を膝に抱いた女性が写っていた。
「哉人のお母さん……哉人のこと、虐待してたっていう?」
「ちー坊はそう言ってたんですか?」
「そう聞きました」
 クリスは息をついた。
「彩さん……ちー坊のお母さんは不器用な人でね。上手く愛せなかったんです
よ。ちー坊は自分が貴族に暴行されて出来た子供だから、顔をみてそれを思い
出すのもつらかったんでしょう」
「え……」
 アテネの顔色が変わる。
「どういうこと? 暴行して、貴族がって……お兄ちゃん」
「アテネ」
 シエルが短い言葉で妹に、哉人が生まれた境遇を説明してやる。胸が締め付
けられる思いで、絵麻もそれを聞く。
「やだよ、そんなの……そんなの!」
「貴方たちは、ちー坊の……?」
「あ、仕事仲間です。ちょっと中央に来たんですけど、あいつだけどっかにいっ
ちまって」
「ちー坊、仕事してるんですか?」
「働いてますよ。PCの……あいつは情報管理課だったかな?」
「表に、出てるんですね」
 クリスの表情に緩い笑みが浮かぶ。
「それなら、彩さんも安心して転生できるでしょう。彩さんはちー坊のために
死んだのだから」
「え?」
 絵麻は思わずシエルの顔を見る。
 シエルも絵麻を見ていたから、彼も哉人の母親の死因について知っているの
だろう。
「麻薬の取り分が元でもめて亡くなったんじゃないんですか?」
「オレはギャンブルで不正やったのがバレたって聞いてたけど」
「違いますよ!」
 クリスが真顔で首を振る。
「彩さんは臓器ブローカーからちー坊を守って死んだんです。ちー坊の目は不
思議な色をしているでしょう? そのせいでよく狙われてたんですよ」
「……」
「ちょうどちー坊の誕生日の頃でしたね。買い物に出た彩さんをブローカーが
つけてきて、あやうく住んでる場所がばれそうになったんです。彩さんが途中
で引き返して乱闘になって、彩さんも刺されて……ここまで戻ってきて死んだ
んですけど、あの出血でよく表通りから戻ってきましたよ」
 哉人は、嘘を言っている?
「すみません。この辺でどっか、アイツが行きそうな場所知りませんか?」
「ちー坊と彩さんが住んでた家がこの裏にありますけど」
 クリスは言ってから、ぼろぼろの壁にかけられていた、錆びた銀製の十字架
がついたチョーカーを持ってきた。
「ちー坊に会うんだったらこれを渡してもらえますか?」
「これは?」
「あの最期の日に、彩さんがちー坊の誕生日にって買ってきたものです。彩さ
んが死んですぐちー坊はこのスラムを出て行方知れずになってたんで、渡せず
じまいでした」
「貴方は、哉人を探さなかったんですか?」
「ちー坊は恋敵でしたからね」
 クリスが苦笑いする。
「僕は、彩さんに告白したんです。でも、フラれちゃいました。自分はちー坊
を愛してるから、一度に2人は愛せない。暴力を振るってしまうのが怖いって」
 写真の女性は、優しく笑っている。この人が虐待を繰り返したなんて嘘のよ
うに。
「彩さんは、本当にちー坊を愛してたんです……そう伝えてください」
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