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  途中でシエル達と別れて、絵麻は第8寮に戻って来た。
  買い物は昨日のうちに済ませてあるので、夕食は何にしようかと冷蔵庫をの
ぞきこむ。
「えーっと……たまには和食にしようかな」
  結局、肉じゃがとだし巻き卵を作ることにし、絵麻は下準備にとりかかった。
  だし汁をとり、じゃがいもの皮を剥きはじめる。
  その時、玄関に誰かが帰って来た。
「ただいま」
「あ、お帰りなさーい」
  じゃがいもと包丁を持って玄関に出て行く。
  そこにいたのは、明宝翔だった。
  青がかった黒髪。深い茶色の瞳。どこか女性的な面立ちが、苦笑いのせいで
ますます女っぽくみえている。本人に言ったら怒られるだろうが。
  絵麻を『NONET』に引き込んだ張本人にして、絵麻をいちばんわかろう
としてくれる人。それが翔だった。
  研究室の帰りらしく、手には資料の入ったカバンを持っている。
「なんて格好してるの」
「え?  ヘン?」
「じゃがいもはともかく包丁がなー……」
「今、夕飯の支度してたんだよ」
  一緒に台所に入る。
「えっと……今日は僕、夕飯の当番か」
  台所の壁にはホワイトボードがかかっていて、予定の書き込みや重要行事の
メモが張り付けられている。そのいちばん目立つ位置に、家事の当番表がかかっ
ていた。
  絵麻は第8寮の家事をやる寮監だが、絵麻が来る前の第8寮は家事を当番制
でこなしていた。その名残が食事当番には残っているのである。
  とはいっても当番は3日に1回くるかこないかで、夕飯の準備と片付けだけ。
準備なんかは絵麻の手伝いをすればいいだけだから、絵麻が来る前にくらべた
ら数倍マシなんだそうだ。
「僕、何すればいい?」
「それじゃ、じゃがいもの皮剥いてくれる?」
  翔はピーラーで、絵麻は包丁を使ってじゃがいもの皮を剥く。翔が1コ剥き
終える間に、絵麻は3コ剥くことができた。
「早いなあ。しかも包丁で」
  じゃがいも1コに悪戦苦闘していた翔が苦笑いする。
「お祖母ちゃんが、どんな場所にも包丁はあるから、包丁で皮を剥けるように
なっておきなさいって言ってたの。それに、ピーラーは食べられる身の部分ま
ではいじゃうから」
「絵麻はお祖母さんが好きなんだね」
  翔に言われて、絵麻はスカートのポケットからいつも持っている青金石のペ
ンダントを取り出した。
「うん。大好き。これだってお祖母ちゃんにもらったのよ」
「お祖母さん、どこで手に入れたとか言ってた?」
「ううん。ただ、これは私の宝物だから、絵麻ちゃんも大事にしてねって」
「……亡くなったんだっけ」
「うん……」
  絵麻の祖母、舞由(まゆ)は絵麻の16歳の誕生日に亡くなっている。
  死因は不明。ぼろぼろの姿になって自宅の庭先に倒れていた。
  警察、消防、マスコミと総動員態勢だったにもかかわらず、病気なのか事故
なのか、自殺なのか他殺なのかも明らかになっていない。
  絵麻が最後に祖母と会ったのは、亡くなる前日。
『明日は絵麻ちゃんのお誕生日ね』
  絵麻は横須賀にある舞由の家に遊びに行っていた。
『絵麻ちゃんも高校生か。結女ちゃんも大学に合格したし……早いものね』
  舞由は微笑むと、棚の中から小さな木箱を取り出した。
  中には銀製のアクセサリーがおさめられている。
『?  それ何?  お祖母ちゃん』
『これはね、私の宝物なの』
  そう言って舞由が取り出したのが、絵麻が今持っている青金石のペンダント。
『わあっ。綺麗な青』
  舞由から借り受け、うっとりと鏡の前で胸にあててみる。
『素敵ね。ね、こんなのどうしたの?』
『気に入った?』
『うん。とっても』
『それ、絵麻ちゃんにあげるわ』
『え?』
『裏側を見て』
  言われた通り、ペンダントを裏返す。そこには『M to E』とイニシャルが
彫り込まれていた。
 ――舞由から絵麻へ。
『1日早いけれど。絵麻ちゃんももう16歳だから』
『ありがとう』
  舞由は木箱に一緒に入っていた布製の袋にペンダントを滑り込ませると、絵
麻に手渡した。
『絵麻ちゃん、大事にしてね』
『うん。大事にする。ありがとう!』

(あの日会ったのが最後だった……お祖母ちゃん……)
  ペンダントをもらって帰った翌日。
  美味しいケーキを焼いて祝ってあげる、そう約束されていた16回目の誕生日。
『……お祖母ちゃん?』
  いつものように庭から家に入ろうとした絵麻は、それを見てしまった。
  ぼろぼろになった祖母の遺体。
『お祖母ちゃん?!  お祖母ちゃん!!  お祖母ちゃん!!』
  半狂乱になって叫ぶ絵麻の声をききつけた近所の人が来て、息を飲んだ。
  救急車だ、いや警察だという周りの騒ぎをよそに、絵麻は遺体にすがりつい
て泣いていた。
『お祖母ちゃん!  お祖母ちゃん!!』
「……ま。絵麻!」
「あ……」
  肩に熱さを覚えて絵麻は我に返る。
「どうしたの?  ぼんやりしちゃって」
  翔が絵麻の肩に手をおいていた。
「ごめん、ちょっとお祖母ちゃんのこと思い出してて……」
  はっと時計を見る。とっくに下ごしらえが終わっていなければいけない時間
になっていた。
「やだっ。急がなきゃ」
  あわててペンダントをポケットにしまい、包丁を握り直す。
(いけないいけない。お祖母ちゃんのことになると、どうも感傷的になるのよ
ね)
  注意しなきゃと、絵麻は気持ちも新たに包丁を握り直す。
  が、その気合いが空回りしたらしい。
「あつっ……」
  包丁がじゃがいもではなく、指先にくいこむ。
  その部分はぷつりと切れ、赤い血の線がにじんだ。
「切ったの?  見せて」
  翔は絵麻の手を取ると、血のにじんだ指先に迷うことなく自分の唇を押しあ
てた。
「?!」
(え?  え?  え?!)
  現状を理解しようとするものの、頭がパニック状態で思うように処理を受け
付けない。
  顔が紅潮するのだけがよくわかった。
「あ、あのその……翔」
「?  何?」
「あのあのあの……手が、唇にっ!!」
  指摘されて、翔もやっと自分がとった行動の異常性に気がついたらしい。
「ご、ごめん!!」
  ぱっと手を話す。みるみるうちに頬が朱に染まる。
「いつもの、自分が切った時のクセで……つい……」
「……」
  2人は真っ赤になって、その場に立ち尽くしてしまった。
  ここで秋本信也とリョウ=ブライスが帰って来なかったら、永久にそうして
つっ立っていたかもしれない。
「?」
「2人とも、どうしたの?」
  カウンターの外から声をかけられて、2人の硬直がようやく解けた。
「あ、リョウ」
「にらめっこでもしてるのか?」
「別にそういうわけじゃなくって……」
「夕飯、いつくらいになる?」
  信也にきかれ、絵麻は改めて時計をのぞきこんだ。
「今からだと……30分もらえれば充分」
「そっか。なるべく早いとありがたいんだけど」
「?  何かあるの?」
  信也は僅かに声をひそめた。
「『仕事』の相談」
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