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「あ……うまいや、これ」
「ホント。すごくおいしい」
「さっきのも美味しかったけど、これもいいな。夕ご飯って感じで」
 絵麻が作った夏野菜のパスタは、夕食の席で大絶賛を受けていた。
「……」
 作った当人は目を丸くしている。
 本当に美味しいのか?
 絵麻自身は味見程度に食べただけだが、他の4人の皿はあらかた片付いてい
る。
 翔なんかは自分でもう一度よそいに行ったほどだ。
 少し味が濃いような気は未だにしているが……ここまでくるとさすがに慣れ
た。
「ねえ、本当に美味しい?」
 他人からいい評価をもらったことのない絵麻には、どうにもこの事態が信じ
られない。
「うん」
「嘘やお世辞じゃなくてだよ? だってわたしが作ったのに……」
「……まだ言ってる。美味しいんだって。ね?」
 翔が苦笑いして、他の3人に同意を求める。
「マズいものにお世辞ならべてどうするのよ。あ、あたしもう1杯もらおうか
な」
「俺もいい?」
「あ、僕も食べる」
「って……翔、お前食い過ぎなんじゃ?」
「まだ3杯目だよ」
 この言動が、嘘でもお世辞でもないことを証明している。
「……」
 絵麻は呆然とその光景を見ていたのだが、自分のぶんが冷めそうなことに気
づいてあわてて口に運んだ。
「けっこう多く作ったんだね」
「いっぱい食えるからいいじゃん。でも、何で?」
「『7人』って言ってたから……残りの人達が帰ってくるかと思って」
「あ……そろそろ帰ってくるかもね」
 3杯目のパスタを頬張りながら、翔が言う。
「かもね?」
「あのね、聞こうと思ってたんだけど……いい?」
「どうぞ?」
 翔は水を飲んでから答えた。
「どうして、みんなは一緒に暮らしているの?」
「え……それはここがPCの寮だからだよ。みんなPCに勤務してるから」
「でも普通、寮って1Kとか1DKとか……台所が独立してるんじゃないの?
 なのに、なんでみんな同じ所使って……当番制にしてるの?」
「こういうスタイルの寮だって言ったら?」
 翔が僅かに表情を硬くする。
「翔、『仲間』って言った」
 絵麻の茶水晶の瞳が、翔を真剣にみつめた。
「ホントは『仕事仲間』って言ってたけど……みんな、別々の仕事をしてるん
でしょ?
それなら仕事仲間じゃないし、特殊な力を持った人が集まってるのも不思議だ
よ。ものすごく少ない確率なんでしょ?」
「……」
「わたしの考え……間違ってる? それとも別の仕事があるの?」
「絵麻、君は絶っ対に頭が悪くなんかないよ」
 翔が表情を緩める。
「……?」
「後者が正解だな。っていうより、絵麻はもう現場を見てる」
「現場?」
 そう言われて、思い浮かぶのは――。
「あの石? 血星石……」
「血星石の成分については説明したよね? 実は、あれ完全じゃないんだ」
 翔は考え込むように、一瞬目を閉じた。
「翔、いいの?」
「本格的にこの子を巻き込むつもりなのか?!」
「昨日も言ったけど、責任は僕が取るよ。Mr.PEACEにも何も言わせな
い」
「だけど……!」
 おそらく反対意見を言おうとした信也に、翔は小さくささやいた。
 “後で全部説明する”と。
 そして、呆然としている絵麻に向き直った。
「……本格的に巻き込むって……まだ裏があったの?」
「切り札と隠し設定は最後まで隠すのが定石でしょ」
 翔は小さく笑っていた。
「隠し設定?」
「世界を壊そうとする集団と、守ろうとする集団の話はしたよね?
 守ろうとする方がPC……僕らが所属する集団。
 壊そうとするのは武装集団……僕らが対立する集団だね。
 武装集団の本拠地は北部にあるんだけど、どういうわけか特殊な能力の部隊
が多くて……普通のPCの自衛兵では手におえないケースが多いんだ」
「特殊な能力……パワーストーン?」
「そうとも言えるし……言えなくもないかな。パワーストーンを使って強化し
ているわけだから」
「?」
「絵麻は、平和姫(ピーシーズ)不和姫(ディスコード)の話を聞いたことがある?」
「平和姫に……不和姫? 何それ?」
 絵麻はきょとんと目を見張った。
「おとぎ話なんだけどね。
 光の神と闇の神がいた……世界の覇権を争い、光の神が勝った。
 光の神はこの世界を作り、喜びの涙はパワーストーンとなった。
 地底へと墜とされた闇の神は光の神への報復のため、光の神が作ったこの世
界を破壊するために、地底の闇から闇を操る力を持った絶世の美女を造り出し、
『不和姫』と名付けてこの世に送り出し、破壊の限りを尽くさせた。
 これに危機を感じた光の神は闇以外のありとあらゆる原子の破片を集めて、
その破片たちを自在に操る力を持った少女を造り、『平和姫』の名前を与えて
不和姫に対抗する唯一の手段として地上に降ろした。
 平和姫は不和姫を分解しようとするが、闇で造られた彼女を分解することは
できなかった……平和姫は最期に不和姫を抱いて、自分の一部として自分ごと
消滅させたんだ。
 これによって世界は破滅を免れた……って話」
「……聞いたことないや……」
「案外ポピュラーな話よ? 絵本とかにもなってるし」
「その話がどうしたの? 話の通りにいけば、今は平和なんじゃないの?」
「それがね……不和姫が出現しちゃってて」
「え?」
 絵麻は思わずフォークを取り落とした。
「うそでしょ……おとぎ話って言ったじゃない」
「おとぎ話のはずなんだけどね。本当に闇を操る能力者なんだ。パワーストー
ンを触媒に闇を操り、闇から亜生命体を創造し、闇を宿らせて普通の人間をよ
り強く、より凶暴に強化させる」
「それってもしかして」
「武装集団首領。『不和姫』、パンドラのことだよ」
「パンドラ……それ、名前?」
「うん。その名前と容貌――金髪に赤い目――以外はほとんどわかんない。
 あ、世界を破滅させようとしてることはわかってるか」
「パンドラ……」
 どこかで聞いた名前……確か、祖母がしてくれた昔話に同じ名前の人物がで
てきた気がする。
 あれは確か……ギリシャ神話だったっけ?
「覚えがある?」
「どこかで聞いた気がする。でも、よく覚えてない……箱が出てくる話だった。
 災いが世界に満ちあふれるんだけど、最後に希望が残るって」
「箱か……一応こっちにもあるけど」
「?」
「闇で造られたパンドラは身体を持たない。身体を持ってしまえば完全体とな
り、世界は一瞬で滅んでしまうから。
 だから身体は殺されて、封印のかけられた柩に入ってこの世のどこかにあるっ
て……その柩が『箱』」
「複雑な話……」
 絵麻は次第にもつれはじめた物語を自分なりにほどいていたのだが、ふいに、
いっきに結末へとたどりつける可能性をみつけた。
「ねえ、武装集団に『不和姫』がいるんでしょ? だったらPCにも『平和姫』
がいるんじゃないの?」
 絵麻のこの問いに、残りの4人が顔を見合わせる。
「……いたらこんな苦労はしてないって」
 信也が小さく息をついた。
「右に同じね」
 リョウが同調し、リリィも困ったように眉を歪める。
「?」
「PCの総帥はMr.PEACE……要するに男」
 翔だけは表情を変えずに、そう説明してくれた。
「あ、それって……血星石を集めている人のこと?」
「そうだよ。血星石は封印の『鍵』になってる石だからね。
 そしてMrは僕らを使って、パンドラに対抗しようとしてる」
「……使う?」
 絵麻は怪訝そうに眉をひそめた。
「僕らの能力は見たでしょ? あれには副作用があってね、同調している間は
体力や持久力……運動能力全般が飛躍的に上昇するんだ。
 そう……パンドラに強化された武装兵と渡りあえる位に」
「!」
 ふいに全てのパズルが完成して、絵麻は目を見張った。
「みんなは……血星石を集めたり、戦ったりしてるの?!」
「そうだよ。その最中に君が空から落ちてきたってわけ」
 翔は笑って言った。
「PC非合法部隊『NONET(ノーネット)』。
 パワーストーンマスターであることを条件に、PC総帥が独自に集めた対武
装集団強化武装兵用チーム。
 任務は主に自衛団では手におえない強化武装兵や亜生命体の駆除。そして、
血星石の回収と破壊。
 普段はPCの合法部署に所属し、必要に迫られた時は戦場へと駆り出される。
 現在7名所属……と。こんなんでいい?」
「いいかどうかと聞かれても……」
 とりあえずパズルの全貌は見えたものの、細部を気にしだすともはや訳がわ
からない。
「そういえば、7人7人ってさっきから言ってるけど、残りの3人は?」
「昨日の僕と同じで出張中。北の方だったよね?」
「確かそうだけど」
「いつ帰ってくるの?」
「片付けたら戻ってくると思うけど」
「その人たちも能力者?」
「当然」
「そーいや、可哀想なことしたな。あいつらに少し残しといてやればよかった」
 信也がフライパンをのぞきこむ。
 大量にあったはずの夏野菜パスタは、きれいさっぱりなくなっていた。
「え? もうないの?」
「あれだけ食べれば……」
「……翔って3杯食べてなかった?」
「そうだっけ?」
「そうそう。そういうことに……」
「ごまかすなよ。もう1回よそってたろ」
「……何でそういうことだけはしっかり覚えてるの?」
「食べ物の恨みは怖いってな」
「あの……もう1回作る?」
 男子2人がなんとなく険悪になってしまったので、あわてて絵麻は申し出た。
「え……」
「あ……」
 その時になって2人は気づいた。自分たちが満腹の状態でいることに。
 同じようにそれを悟ったリョウが、小さく笑う。
「ふふ。今、2人とも思ったでしょ? 食べたいけど食べられないって」
「何でわかるんだ?」
「だって、あたしもそんな感じだもん。リリィは?」
「・・・・・、・・・・・・・」
 リリィは春の花のような微笑を浮かべた。
「やっぱり食べちゃうよね。美味しかったから」
 リョウはひとしきり笑うと、絵麻に向き直った。
「ね、今度あたし達に作り方教えてくれる? 美味しかったから」
「わかっ……」
 絵麻は返事をしかけたのだが、その声が硬直する。
 その一瞬だけ、微笑むリリィと視線が合わさっていたのである。
 綺麗な笑顔は、無意識のうちに絵麻にブラウン管の中の結女を思い起こさせ
ていた。
 お互いがすぐに視線をそらしたので、絵麻が錯乱してしまうことは避けられ
たのだが……絵麻の顔色は誰がどうみてもわかるほどに青く変化していた。
(まただ……わたし……)
 誰もが無言のまま、しばらく時間が流れた。
「・・・・・・・」
 突然、音とともにリリィが立ち上がると、食器を下げてそのまま台所から出
て行ってしまう。
「リリィ?!」
「今、何て言ったんだ?」
「部屋に戻るって……ちょっと見てくるわ。ごちそうさま」
 リョウは食器を置いたまま、台所を出て行った。
「……」
 絵麻はぼんやりと2人の出て行った戸口を見ていた。
 顔色は戻ってきているものの、まだ幾分青く、瞳に生気がない。
「絵麻?」
「……あ。何?」
 自分が呼ばれている事に気づいて、絵麻は視線を戻した。
「聞き忘れてたんだけど……身体の具合はどう? 急に頭が重くなったりとか、
足に力が入らなくなったりとかある?」
「ないよ。普通に動けてるし……ただ」
「ただ?」
「突然、怖くなることがあるの……そうすると動けなくなる」
 絵麻はその条件に関しては触れなかったが、翔はどんな条件を満たした時に
絵麻が錯乱するかを既に理解していた。
「血星石の方は大丈夫だけど……少し疲れてるみたい。休んだほうがいいよ」
「あ、だったらお皿洗ってから休む」
 絵麻は自分のコップに残っていた水を飲み干すと、椅子の背もたれを支えに
して立ち上がった。
「大丈夫か?」
「うん。水飲んだら少しすっきりした。終わったらちゃんと休むから」
「皿くらいなら、俺が洗うけど」
「ううん、いいの。だって、ただで泊めてもらってるんだもん。当然だよ」
 絵麻は笑顔を見せたが……疲れの色は明白だった。
 翔と信也は顔を見合わせたのだが、翔の方が首を振った。
 “好きにさせたほうがいい”
「そこまで言うんだったら……でも、終わったらすぐに休めよ。いいな?」
「はい」
 絵麻は言うと、食器を流しに下げ始めた。
「僕ら、自分の部屋にいるから。何かあったら呼んでね。絶対だよ」
 翔はそういうと、心配そうにしている信也を引っ張るようにして戸口から出
て行った。
「……さてと」
 食器を下げ終えた絵麻は、石鹸を使って洗いはじめた。
 やわらかい石鹸の匂いと、食器の触れ合う音。
 気持ちが凪いで行くのがわかる。
 全部の食器をふき終えた時には、絵麻は平常心を取り戻していた。
 けれど……。
 絵麻は椅子を引くと、そのままテーブルにつっぷした。
 ほめてもらえたのに。
 喜んでもらえたのに。
 どうして、拒絶してしまうんだろう?
 怖くなってしまうんだろう?
「……ごめんね」
 絵麻は小さく呟くと、そのまま瞼を落とした。
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