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「お祖母ちゃん……」
 絵麻は身じろぎし、それからはっと目を開いた。
 そこは全く知らない場所。
 最低限の家具のみがおかれた、殺風景な部屋。
「そっか。夢をみたんだ」
 絵麻は自分の頬が冷たくなっていることでそれを理解した。
 泣きながら眠ってしまったせいで、昔泣いた時の夢をみたのだろう。
「……」
 絵麻はゆっくりと体を起こした。
 くしゃくしゃになった制服を直し、ついでに髪も調える。
「翔さん……みんな……」
 昨日はひどいことをしてしまった。
 初対面なのに混乱して、いっぱいひどいことを言って……けれど、あの恐怖
感だけはどうしようもなかった……!
「どうして……怖いんだろう?」
 その時、絵麻の中に夢でみた舞由の優しい笑顔が浮かんだ。
『じーっと、じーっと見るの。そうして、他に楽しいところをみつけるの』
『そうよ。後で思い出した時、おかしくて笑い転げちゃうみたいな。必ず1つ
はあるものなのよ』
 絵麻の恐怖を克服させてくれた、優しいあの言葉。
 まだ『自己暗示』という言葉を知らなかったあの頃の絵麻にとって、祖母の
その言葉はまさしく魔法だった。
 魔法じゃないってわかってからも、信じる気持ちは変わらなかった。
「お祖母ちゃん……」
 絵麻は呟くと、拾ってからポケットに押し込んだままだった青金石のペンダ
ントを取り出した。
 朝の光を弾いて、深遠なる青をたたえた宝石が輝く。
「わたし、頑張ってみるね」
 絵麻はポケットに再びペンダントを戻すと、しっかりとした足取りでドアノ
ブに手をかけた。

 キイィッ……  

 ドアがきしむ音が廊下に響く。
 絵麻は顔だけのぞかせてそっと周囲を伺ったのだが、人のいる気配はなかっ
た。
(誰もいないのかな……?)
 昨日とは逆に廊下をたどって、階段の方まで歩く。踊り場は吹き抜けの回廊
になっていて、のぞきこむと真下に1階のホールが見えた。
「こういう家なんだ」
 ふっと顔を上げると、自分が来た方とは逆に、全く同じ造りの廊下が伸びて
いるのが目に入った。
「あれ?」
 木製の廊下も、6つドアが並んでいるのも同じ。
 興味を覚えた絵麻はそちらに向けて歩きだした。
 と、いちばん手前にあったドアが、いきなり開く。
「わっ……」
「あれっ、人がいたんだ?」
 絵麻の思いっきり上の方から声が降ってきた。
 こげ茶色の髪と瞳。左耳につけられた3連ピアス。
「えっと、信也さん?」
「そうだけど、あんた……あ、そうだ。エアだっけ?」
「絵麻……」
「それそれ、絵麻。おはよう」
 信也は初めてあってからまだ半日たっていない、得体のしれない絵麻を相手
に明るく笑ってみせた。
 久しぶりにきいた挨拶に、絵麻は一瞬目を見張った。
 祖母は「笑顔で挨拶」が基本の人だったから、絵麻もそれにならって生きて
いた。
 けれど、結女の方は「挨拶は営業」を看板にしていたので、祖母が死んでか
らは挨拶の相手がいなくなってしまい……朝の挨拶はしばらく抜きになってい
たのだ。
「おはよう……ございます」
 そんな事を思い出しながら、絵麻はぎこちなくだが笑ってみせた。
「迷ったのか? こっちに来たりして」
「?」
「右側……左側だっけ? こっちには男の部屋しかない」
「そうなの?」
「こっちが男ばっかりで、そっちが女ばっかりの部屋。そういうふうに決めた
から」
「みんなで住んでるの?」
「ここ、PCの寮だから」
「PC?」
 その時だった。
「信也?! まだ寝てるの? 遅刻するよ!!」
 吹き抜けの下から、リョウの声が響いてくる。
「あっ、忘れてた。今行く!」
 信也は怒鳴り返すと、そのまま絵麻を素通りして階段を降りようとする。
 が、その途中で振り返った。
「こいよ。別の世界の住人でも、朝飯くらい食べるだろ?」
「別の……世界?」
 絵麻の疑問には構わず、信也はさっさと階段を降りると、昨日話したリビン
グの隣のドアに入って行った。
「信也、何やってたの?! 遅刻したらまた給料引かれるよ?」
 そのドアにもたれかかるようにして、チョコレートブラウンの髪の少女……
リョウが立っている。
 信也には文句を言ったリョウだったが、彼の後ろに絵麻の姿をみつけると文
句をひっこめた。
「あ、絵麻じゃない。オハヨ」
「おはよう……」
 絵麻は小さく笑顔を浮かべた。
「よく眠れた?」
「うん」
 絵麻はこくんと頷いた。
「よかった」
 リョウはにこっと笑ってみせた。
「……」
 絵麻はじっと目の前の少女を見つめた。
 姉と同じ年頃だが……姉のような居丈高な部分はない。
 紫色の目が、さっきは純粋に絵麻を心配してくれていた。
「ありがとう……リョウさん」
「丁寧だね。みんな呼び捨てちゃっていいのよ?」
「そうなの?」
「さん付けって、貴族の間で好まれてる丁寧語だから。むしろきらいな人もい
るくらいなの。あたしは別にどう呼ばれても構わないけど」
「……貴族?」
「あ、時間本格的にやばいかも。今日準備あるのに」
 リョウは絵麻を戸口の中に引っ張りこむと、入れ違いに部屋を出た。
 そこは台所だった。
 4人がけの木製テーブルが3つと、対面式のキッチンセット。キッチンの中
に翔がいて、中央のテーブルに信也が。奥側のテーブルにリリィが座ってそれ
ぞれ何か食べている。
 台所、というよりは食堂みたいなものなのかもしれない。
「おはよう。絵麻」
 翔はキッチンの中から、ちょっと情けなさそうな顔をみせた。
「見て。これ焦がしちゃった。洗い終わったら絵麻のぶん作るからね」
 翔がフライパンを持ち上げる。そこには見事な焦げ付きがあった。
 食べたらきっとガンになるに違いない。
「おはよう……すっごく焦げてるね」
 絵麻は苦笑いした。
 家事エキスパートの絵麻は、こんな失敗はまずやらない。子供のころの2、
3回はともかくとして。
 結女は家事自体しない人だったから、フライパンの焦げ付きは久しぶりに見
る。
「翔って、料理するの?」
「7人で当番制だからね。今朝は僕ってわけ」
「7人?」
 絵麻が会ったのは翔、リリィ、リョウ、信也……4人だ。
「もう起きて平気? 気分が悪かったりしない?」
「大丈夫だよ」
「よかった」
 翔が笑顔を向ける。
「さて、焦げ付きが取れた。今から作るね」
 2人の間に昨日の張り詰めた空気はない。
 今は怖くないから。
 お姉さんなら、料理しないもの。フライパン焦がさないもの。
 絵麻が静かに笑っているのを見て、リョウと信也は視線をかわした。
「落ち着いたみたいね」
「このぶんなら大丈夫そうだな」
「さて……と。あたし、もう行くね。時間だから」
 時計に目を走らせたリョウは、足元に置いてあったカバンを取った。
「待って。俺ももう行く」
 自分の皿を空にした信也が立ち上がる。
「行くって……どこに?」
 その言葉を絵麻が聞きとがめた。
「え……仕事だよ」
 信也はきょとんとして言った。
「仕事?」
「俺は通信士だからな。PCの通信局で働いて……」
「信也、説明してると遅れるんだって!」
 リョウの声に、彼は我に返った。
「そうだ。それじゃ後は翔にでも聞いてくれ」
 信也は翔の方を示すと、リョウについて食堂を出て行った。
「仕事……?」
 学校ならともかく、仕事って……。
 そういえば、科学者だの医者だのということを言っていたような気がする。
「あ、まだPCのこと説明してなかったね」
 翔は視線を下に落としながら言った。
 そこには焦げ付きを落としたフライパンがあり、標準よりちょっと大きめの
目玉焼きが乗っている。
「ピーシー?」
「平和部隊――Peace・Corps。略してPC」
「平和……?」
「絵麻のいた世界にはなかった?」
「うーんと……」
 あいまいに頷いた絵麻だったが、そこでひとつの疑問に気づく。
「世界?」
「昨日ずっと考えたんだけど、結局、僕の結論は『君は別の世界の人間』って
ことになったんでね。そうすれば話が簡単になる」
「そうだよね」
 確かに、地球とGガイアが『別の世界』なら、話は実に単純である。
 お互い違う常識を持っているのが当然。自分の頭がおかしくなったという心
配は一切しなくていい。
「けど、平和部隊って? 確か、国王に統一された君主制国家だって……」
「国王が真剣に統一していてくれればPCも爆弾もパワーストーンも必要ない
んだけどね」
 翔は小さく息をついた。
「?」
 その時。

 カタン……  

 部屋の隅から音がする。
 食事をし終えたらしいリリィが、食器を持ってキッチンに歩み寄ってくる。
 純金の髪が朝日に透けて輝き、彼女の美貌を際立たせる。
 切れ長の――姉と同じ――瞳が、じっと絵麻をみつめていた。
 絵麻はびくっと肩をすくめる。
 それでも必死にみつめる。楽しいところを見つけようとして。
 思い出した時、笑えるようなところを探して。
 でも……みつからない。
 見つめれば見つめるほど、彼女は姉に似ているから。
「・・・・」
 リリィの、声にならない声がする。
「……」
 何を言っているのかはだいたいわかる。
 けれど――けれど。
「……!」
 絵麻はぎゅっと両手を握りしめた。
 制服の肩が震え……瞳は闇を映す。
 そんな様子を、リリィは寂しそうにみていたのだが、翔にうながされて視線
を外した。
 流しの中に使い終えた食器を入れ、戸口へと歩きだす。
「気をつけてね、リリィ」
「・・・・・。・・・・・、・・・」
「充分気をつけるよ。何かあったら連絡する」
 絵麻はリリィから視線が離せなかったのだが、彼女がふたたび絵麻の方をみ
つめることはなかった。
 そのまま、彼女は戸口から玄関へと姿を消した。
 それを確認するのと同時に、絵麻の体から力が抜ける。
「絵麻?」
 膝の力がなくなり、絵麻はがくっと崩れ落ちそうになったのだが、手に触れ 
たキッチンのカウンター部分をつかむことでなんとか持ちこたえた。
「大丈夫?!」
「……みたい」
 と言いつつも、顔色は真っ青になっている。呼吸が少し浅い。
(リリィには反応する……?)
「どこかの椅子に座って。卵できたから……」
 翔はフライパンを置き、皿に目玉焼きを移そうとしたのだが。
「あ……」
「……またやっちゃった」
 目玉焼きは、今回もまっくろくろすけ的発ガン物質へと姿を変えていた。
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