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 絵麻はその日も食事の片付けの後に本を読み、気づいたらそのままソファ
で眠っていた。
 夢の中にいることに気づいたのはしばらく経ってからだ。
 どうも夜のようで、辺りは薄暗かった。
 空に浮かぶ青い球体が、村の入り口の門扉に寄りかかるようにして立つ
少女の鈍い金髪を浮かび上がらせていた。
 簡素なデザインの、丈の長いワンピースに身を包んだその少女に、絵麻
は見覚えがあった。
(パンドラ……?)
 でも、絵麻の知る彼女とは表情が全然違っていた。化粧気はまるでない
し、傲慢で高飛車な部分の代わりに、この年の少女特有の、清らかな美し
さがあった。
 彼女は誰かを待っていたようだった。
 こんな時間に、誰が来るというのだろう。
 しばらくして、かさりと草を踏む音がした。
 パンドラが振り返る。その目が、恐怖で見開かれている。
 そこにはたくさんの人が立っていた。どの人も畑をたがやすべき愛用の
農具を、武器のように構えている。
 その先頭に立っていたのは、パンドラの養父母だった。
「お養父さま、お養母さま……?」
「お前を逃がすわけにはいかないんだ」
 びくりと、パンドラの体が強張る。
「……どうして」
「お前と村の安全、どちらを取るかといわれてしまえば、村長として私が
どうするかはわかるだろう?」
 パンドラの表情がみるみる青ざめる。
「お養父さま……」
「パンドラを捕らえろ! ガイア13世の使いはもうすぐ来るぞ!」
 声に、パンドラの周りを村人たちがいっせいに取り巻く。
「いや……やめて……」
「捨て子のお前がガイア13世王の妾になれるんだ、ありがたく思え!」
 村人たちはパンドラをロープで縛り、身動きができないようにすると、
用意していた馬車に押し込んだ。
「助けて……エピメテウス、助けて!」
「迎えに来るなんて思わないことだね。あの羊飼いがこの事を教えてくれ
たんだ」
 泣き叫ぶパンドラにさるぐつわを噛ませながら、村人の一人が言う。
「……!」
 パンドラの青い瞳が、絶望で見開かれる。
 そこで夢は一瞬輪郭を失って崩れ、気づくと絵麻はまた別の光景を覗い
ていた。

「知ってたな……こうなるって知ってたな?!」
 黒髪の青年が、うつむいて立つ白銀の長い髪の若者につかみかかってい
た。
「何で教えなかった?! 行けば兄貴が死ぬ事を、何で教えてくれなかった
んだよ?!」
 青年の表情は兄を亡くした悲しみに歪んでいた。青年は若者の胸倉をつ
かみあげ、何度も何度も揺さぶった。
 揺すられるままになっていた若者が、ぽつりと呟く。
「私の知識は『世界』の知識です。使えばどうなるか」
「じゃあ、兄貴は死んで当然だったって言うのかよ?! エマが行方不明に
なるのも当然だったって言うのかよ?! 守護者だ平和姫だって持ち上げて、
こうなるのかよ?!」
「……」
 若者――カムイは答えなかった。
 カムイを突き離し、しばらく荒い息をととのえていた青年は、やがてこ
う言った。
「カムイ。その知識を僕によこせ」
「何を」
「僕が正しく使ってやる。いつかまた平和姫が現れた時、正しく導けるよ
うに使う。こんなことが二度と起きないように、世界の平和のために、正
しく使う」
「『世界』につながろうというのですか」
「ああ」
 真剣な目を向けてくる青年に、カムイはためらった。
「『世界』に……大いなる意識につながることを許されるのは神のみ。人
間の身で神と同等の力を得れば、人間はその重さに耐えられない。もっと
も厳しい罰を受けます」
「罰って、なんだよ」
「『愛する人全てを失う』。それが、神の下す罰です」
 カムイはそこで言葉を切り、じっと青年の目をみつめた。
 青年は逃げなかった。
 カムイはその愚かさに息をつくと、青年の手を取った。
「わかりました。私の知識を貴方に渡します」
 カムイの姿が、青年に吸い込まれるように消えてゆく。
「どうか忘れないで。万人に通用する『正しさ』なんてものは、どこにも
ないのだと」
 カムイの姿が消えると同時に、夢がぼやけた。

 次に見た夢は、とても生々しいものだった。
 酷い怪我を負って倒れ伏す人々。ひっきりなしに新しい怪我人が運び込
まれ、手当ての甲斐なく力尽きていく人と交換される。
 数少ない動ける人が何人か、手当てに追われていた。
「ミオ、こっちの人を手当してちょうだい!」
「はい!」
 呼ばれて位置を移したのは亜麻色の長い髪をした女性だった。
(ミオさん?!)
 絵麻が知るミオとは微妙に雰囲気が違っていた。手当てに追われて疲れ
てはいるのだが、悲しげな瞳はしていない。
 彼女は長い髪を一束ねにして、懸命に手当てに当たっていた。かけてい
るエプロンは怪我人の流した血で染まってしまっている。
 それを気にする素振りもなく、ミオは苦しむ人の元へかけていった。
「大丈夫ですか? 今、お水を……」
「うう……ありがとうございます」
 起こされた男は、血染めの黒衣を着ていた。
 男の鋭い目つきに、ミオの水を差し出す手が一瞬、止まる。
 しかし、その時既にミオは冷たい死神の指に捕らえられていた。
「死んでください」
 男が隠していた拳銃を引き抜く。
 炸裂音がして、ミオは額から血を吹き出して倒れた。
 周囲から悲鳴が上がる。
「武装兵だ!」
「武装兵が紛れ込んでいるぞ!!」
 声と共に、続けざまに武装兵の拳銃が乱射される。
 ほとんどの怪我人は動くすべなく銃弾に倒れた。
 悪夢のような光景はしばらく続き、やがて命からがら救護所を逃げ出し
た人に呼ばれてやってきた長身の男性が、その武装兵を撃った。
「がっ……」
 武装兵が崩れ落ちるより先に、男性は血の海の中に倒れるミオに駆け寄っ
た。
「ミオ!」
 亜麻色の髪が血を吸って乱れていた。力強い色を宿していた瞳は硝子玉
のようになり、既に遠い世界を覗きこんでいた。
「ミオ……?」
 男性は膝をつき、何度も何度もミオの肩を揺する。目の前で起こってい
る事が信じられないというふうに、揺すれば起きてくれるとでもいうふう
に、何度も揺する。
 やがて、事実が胸にしみこんだように、男性はぴたりとミオを揺するの
をやめた。
 ――自分が殺した。自分の身に流れる血のせいで、ミオは……。
「ミオっ!!」
 頭を抱えて、男性は絶叫した。

 通信機の鳴る音で、絵麻は夢から覚めた。
「あ……れ?」
 まだ頭の芯がぼやけている。
 本を読みながら眠ってしまったことを思い出すまで、しばらくかかった。
 急かすようになる通信機に、絵麻は慌てて手を伸ばす。
「もしもし……」
 目をこすりながら出たため、使い慣れた言葉が口をついた。
「絵麻か?」
「はい。深川絵麻はわたし……」
 低い声。この声は、確か……。
「Mr.PEACE?」
「そうだが」
 絵麻の眠気は吹き飛んだ。
「お仕事の電話ですか? だったら信也かリョウに」
「いや。用があるのはお前にだ」
「わたし?」
「夢を見たな?」
 Mr.の声はひどく冷たく、絵麻は肌が粟立つのを感じた。
「なんで……」
「見たんだな?」
 有無を言わせない口調に、絵麻は頷いてから相手に見えない事に気づい
て、はいと小さく言った。
「そうか」
 Mr.PEACEはそれきり黙った。2人の間を沈黙が満たしていく。
「話があるから執務室に来るように。日と時間は追ってユーリから連絡さ
せる」
「話ですか?」
「わかったな?」
 気おされるように絵麻が返事をすると、通信は唐突に切れた。
「……?」
 絵麻は無音になった通信機を見下ろして、首をかしげた。
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