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「ねえ、翔のジャケットのサイズって知ってる?」
 絵麻は翌日、遅番でゆっくりしていた信也に尋ねた。
「ジャケット?」
「うん。破れてたの」
「絵麻が直してあげればいいじゃない」
 言ったのは唯美。通常の仕事のはずだがまだこの場にいるのは、瞬間移
動で遅刻ギリギリに駆け込む気だからだそうだ。
 つくづく便利な能力だなと、絵麻は思った。
「断られちゃった。でも、あれじゃ体裁悪いと思うから、新しいの買って
置いておこうかなって」
「絵麻は甘いんだから」
「サイズは知らないけど、俺と同じか一回り小さいかじゃない?」
「絵麻が知らないってわりと意外だな」
 哉人もまだ台所にいた。なんでも原因不明のマシントラブルで、仕事が
できないのだという。
「洗濯してるんだからわかんない?」
「翔のジャケットって、洗ったことないの」
 翔はいつもジャケットを着ていた。そろそろ長袖では暑い季節だけれど、
衣替えはしていない。
「長袖が正装とかっていうのがあるの? シエルもそうだし」
「それはないよ。アイツが長袖脱がないのは、腕があるように見せかけて
るから」
「あ、そっか」
 シエルには右腕がない。半袖の服だと、醜く歪んだ腕の切断面が覗いて
しまうため、シエルはどれだけ暑くてもフリースを脱がないのだ。
「だいたい、信也と封隼は半袖じゃん。長袖が正装だったら、哉人なんか
露出狂だって」
「お前だって似たような格好だろうが!」
 哉人が唯美に向けて、手近にあった新聞を投げつける。
 この2人はいつでもノースリーブだったりする。似合っているのだが、
仕事を持っている人間として大丈夫なのかはわからない。
 飛んできた新聞を器用に避けると、唯美は「行ってくるね」と言葉を残
して台所から消えた。哉人も部屋で作業すると行って出て行ったので、台
所には絵麻と信也の2人きりになった。
「絵麻」
「? おかわり?」
「大丈夫か?」
「何が?」
「昨夜のこと」
 絵麻は目を丸くした。
「何で知ってるの?」
「聞こえたんだよ。俺の部屋、階段のすぐ上だから」
 ここは壁も薄いしと、信也は息をついた。
「無理はしない方がいい」
「無理じゃないよ」
 自分の口から出た言葉は、思いがけず強くて。
「わたしのしたいようにしてるだけだから」
「絵麻がつらくないんなら、いいんだけど」
 信也は手元のコーヒーカップに視線を落とした。
「ここんとこ……ヘンな噂が立ち始めてからかな。翔は前の翔に戻ってる
気がして」
「前の?」
「今じゃ考えつかないくらい怖くて、ピリピリ張り詰めて、上から見下ろ
す感じ。
 俺、一度大喧嘩したことあるし」
「そうなの?!」
 驚きで声が裏返った。
 2人とも協力して上手く周りをまとめていたし、信頼関係もあるように
見えた。情報を全てサポートする翔と、人をまとめるのに長けた信也の組
み合わせはいいなと、密かに思っていたくらいだ。
「もしかして、実はこっそり嫌いとか?」
「いや? 全然」
 だから心配はいらないと、そう言って。
「俺はあいつ好きだし、信じてるよ。義体作るって言ってた時、本当に生
き生きしてたから」
 早くあの状態に戻らないかなと言って、信也はカップに口をつけた。
「義体?」
「今まで壊すばっかりだったから、作る仕事がしたいんだってさ」
「そうなんだ」
 その選択に翔の優しさが現れているようで、絵麻は嬉しかった。
 けれど、翔はその優しさを、一体どこにやってしまったんだろう?

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